酒を注いでいるときに血の匂いがした。その方へ振り向くとあからさまに嫌悪の色を宿した土方の目とぶつかった。そのとき坂田の機嫌はすこぶる悪かったので黙ったまま睨みあげていると土方のほうが先に逸らした。親父、席は。すんませんがカウンターの其処しか空いてねえようで。そうして指された席は坂田の隣である。土方は舌打ちをしてから、しかし其処に腰掛けた。注文を済ませ灰皿を手元に引き寄せている土方の指先が坂田の視界端にちらつく。 勘弁しろよと内心毒づきながら坂田は手元の酒がこぼれていることに気付いた。ぼんやりと親指にかかった液体を見つめ、そして舐めとった。血液のような味だと思った。
 土方はちびちびと酒を嘗めてはいるが、それは形ばかりだと坂田はすぐに気がついた。背後では世情がどうだの組織がどうだのという有り触れた会話から次第に物騒な単語が飛び出てきているのが嫌でも耳に入った。そのたびに土方の手首に浮く血管が反応しているように坂田には思えた。その手は盃を傾けたり触れたりしているばかりである。坂田は何杯目かの酒を煽ってから盃をカウンターに置いた。その音に土方の眼球が動く。坂田が唇を開きかけると、土方が即座に吐き捨てた。てめえ余計なこと喋ったら斬るぞ。それは小声であったが坂田の耳朶に低く落ちてきた。何か言い返そうとしたとき、背後の男たちが立ち上がり勘定を呼んだ。それに合わせて土方も立ち上がり右手で刀の柄を確かめようとしたところで坂田はそれを制した。強く土方の右腕を握り締める。なんだコラ公務執行妨害で、と土方が言うのを無視してさらに力を込めた。外でやれよ、酒が不味くなる。
 男たちが店から出て行くのを見計らって坂田が手を離すと、土方は小銭をカウンターにばらまいてから出て行った。それと共に血の匂いも酒屋の噎せた匂いに掻き消されていった。これでようやく美味い酒が飲めるだろうと手元の酒を呑み込むと今度は味がしなかった。坂田は酒を煽り続け意識を沈めていった。
 次に坂田が気付いたとき、カウンターに突っ伏している自分を引き剥がそうとしている新八が見えた。銀さん立ってください、と椅子から無理矢理おろされる。銀ちゃん、しゃきっとしろヨ。腕を引き上げてきたのが神楽だったので坂田は目を瞬かせた。なんでお前らが、と言うのに呂律がまわらない。土方さんから電話があったんです。酔いつぶれてるだろうからって。思考が働かず坂田は唾を飲み込む。光の凝集が瞼裏に押し寄せてきて吐き気がした。一緒に飲んでたんですか? 飲むわけねえだろ、と絶え絶えに答えて坂田は新八の肩に凭れかかった。
 酒屋から一歩出ると風が強く坂田の頬にぶつかった。熱を溜めた身体を撫でていくような寒さであった。最低な日だと思いながら項垂れていると新八の足が止まる。あれ長谷川さん。ハセガワ、と坂田は反芻する。俯く坂田の視野に、別の足がぬうとあらわれた。この寒いというのに、下駄を履いている。頭上の話し声を遠くに聞きながら、そのがさついた足指が時折動くのを坂田は眺めた。
 新八と神楽に引き摺られるようにして歩きつつ坂田は夕刻、長谷川に電話をかけようとしてやめたのを思い出した。あのとき自分は何を躊躇ったのだろうかと思う。ふいに足元がおぼつかなくなり坂田はよろめく。支えられながら坂田は目を閉じた。鼻緒の擦り切れた小汚い下駄が瞼裏にこびりついて離れなかった。

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