1:大量に落ちている吸殻をスマホでカシャカシャ撮りながらクソ長いエスカレーターを降りていく。これ撮る意味あるか?振り返る銀時の疑問はガン無視で高杉はたまごっちに耽っている。耽っては墓にしている。どうやっても死なせてしまうらしかった。それでもまたしばらくするとピーピーうるせえ泣き声が耳を擦りはじめ、お前に子育ては無理だろと振り向いた銀時の目がぼっと燃えあがる。突然のたまごっちの発火。手中でめらめらと燃え盛るそいつを高杉は線香花火のように捨て、もう終わりだ、と言った。その瞬間、空中に大量の吸殻が現れた。その全てに火がついている。反射で伸ばした銀時の腕が、それらを薙ぎ払った。その風に吹かれた高杉の髪を導火線のように舐めていく赤。を瞼の奥に残していくエスカレーターが激しく揺れる。その間も吸殻の雨は降りそそぎ、あたりは火の海になっていく。走りながら落ちてたスプレー缶を拾って、適当に噴射しまくった。空中に撒かれたそいつに降りかかる吸殻の火が触れて小爆発を起こす。そのぐちゃぐちゃとした煌めきが、いつかのどこかでみた高杉と重なった。火の海に潜っていく高杉に貝殻でもあったか!?と叫ぶ。叫んだ喉がぐっと詰まった。息がしづらい。空気が奪われていく感じがした。足元から崩れ去っていく空をとめられない。いつのまにか高杉はいないし、代わりに握りしめている手は子供のものだった。儚い温もり。ピーピーうるせえ。
 高杉。どこにいったんだ。さっきまでいたのに。




2:「行くんですか?」
 一人だった背中に声がかかった。振り返った土方の煙草からこぼれた灰が、燃えるものが何もない地面に混ざっていった。それを踏みつけた沖田の影が土方の影と重なる。その瞬間、麻痺していた音や匂いや体温や空腹や痛みが、星の重力で戻る感じがした。目の前のエレベーターを見る。来るのを待つ間に地球が何周かしたんじゃないか?と考えている土方に、もう終わっちまいますよと沖田は言った。何が終わるのか。映画か人生か。エレベーターの操作盤を連打する沖田の無意味な指。すると止まったままだった階数がパチスロのごとく動きはじめ無意味じゃ無くなった。背後が無くなっていく感じがする。沖田以外すべて無くなっていく。ポンと間抜けな到着音がした。目の前の扉が死ぬほどゆっくり開く。いや一瞬だった気もする。誰も乗っていないそこに土方より先に沖田が乗り込んだ。しまったと土方は思った。乗らないんですかィ。中から見てくる沖田の目が暮れていく空だった。どこかに行った帰りの昏さだ。三秒以内に乗らないと行っちまいますよと最低のカウントが始まる。煙草を捨てて沖田へ踏み込んだ土方の体が次の瞬間、ガンッと扉に挟まれた。踏み込む前から挟まれる気がした土方は何も痛くないという顔で乗り込んだ。沖田と乗るエレベーターには挟まれ慣れている。上? 下? 沖田の指が土方の行き先を聞く。下。沖田の指が上向きの矢印を押す。案の定、灯らない。上を連打する沖田の指を無視してエレベーターは下降をはじめる。何度連打しようが下にしか行かず笑いはじめた。揃って笑うことは滅多に無い。七が三つ揃うよりも無い瞬間。どこまでも下っていく気が遠くなる時間、矢印から離れた沖田の指が土方の手首を掴む。すでに脈は止まっている。沖田の脈はわからないが、まだ僅かにぬくい。これだけずっといて、土方は最後に初めて沖田の手の熱を知った。




3:俺はナミブ砂漠にいた。
 何もないという意味のナミブで息をする感覚は確かに空虚といえた。吸えば吸うほど体に穴があいていく感じがした。砂丘に残していく足跡だけが自分の跡だった。それも後から来た他の観光客に上書きされていった。一列に続く人々の息は同じところに向かいながら、ばらけて聞こえる。誰かが消えても、きっとわからない。夜明け前の闇によって人の見分けもつかなくなった。ふと砂に足を取られ視界が傾いたかと思うと、あっという間に斜面をずっていく。それを避けて追い越していく複数の体をぼんやりと見送りながら、もう間に合わなくてもいい気がしてきた。その間も追い越していく人々が皆行ってしまって気を抜いたところへ、「おい」という男の声が頚筋を撫ぜた。跳ねた肩で振り返ると、白い頭の男が絶妙なバランスで真後ろに立っていた。片足が砂に埋没した姿が不安定に立つ旗のようで哀れに見えた。そいつが黙って差し出してきた手を仕方なく引きずり上げてやる。遠慮もへったくれもなく掴んでくる握力の強さに骨が軋んだ。指の皮同士が擦れ合い、他人に触れる生々しさが蘇る。砂から男の足がすぽんと抜ける。引っぱった拍子に男のフリースのポケットから文庫本がばさりと落ちた。砂に沈んだそれを拾おうと屈む白髪が風に煽られ、そのもつれ具合に砂漠を転がる回転草が脳裏を過ぎった。いつまでもどこまでも風に吹かれていくあの塊を。本についた砂を払っていた男の顔がふとこちらに星のように流れる。
「これ、俺が訳したやつなんだけど」
 男がおもむろに差し出してきた帯もカバーもない裸の本に瞬く。風に舞う砂が目に入り、書名の下のシロツメクサの絵がぶれて見えた。
「やるよ。たぶん泣くぜ」
 風が吹き、視界から砂が去る間際。ざらついた表紙にぐしゃりと皺がいく。
 ミツバ。
 作者の名に息をとめた。
 それはもうこの世にいない女の名だった。その名から、あの頃の密やかで強い女の息が漏れだすようだった。しかしそれは目の前の白い男のものだと気が付いて呆然と立ち尽くす。
「あ、日の出」
 地平線にうっすら血が滲みだす。
 結局、間に合わなかったそいつが砂漠を真っ赤に染めていく。
 頁をめくるような、
 日の痛みが来るのだ。




4:昼を過ぎたあたりから肺らへんが重たく喉は詰まり、干からびたパンみたいなカスカスの声しか出せなくなった。誰にも声が通じず指令も通らず煙草をふかしながら町の見回りをするぐらいしかなく雑に彷徨っていたところ「声の出なくなった人はコチラ」という電柱の張り紙が幾つもあらわれた。アア嫌だ行きたくないと駄々を捏ねる童心が沸々とこみあげる。見てみぬふりで通過した視界に次々と迫り来る張り紙の、その脅迫に追い詰められていく。放置すれば二度と声が出なくなる。息も詰まりはじめる。果ては窒息死。アァ嫌だ行きたくない。異常に濃い影をひきずりながら鬱々と向かった歯科医院には既に先客がいた。受付の前で佇んでいた白い頭が振り返る。またコイツか。行くところにいつもいる。「テメーにうつされた」という互いの声が綺麗にハモる。カビたパンみたいな声だ。悪化している。待合にいる間、ゴソゴソと保険証を探すヤツの横でひたすら帰りたい。どうせ待つなら定食屋がいい。丼の上で熱々と波打つマヨネーズの海に今飛び込みたい。その空想虚しく、順番がやって来た。坂田さん土方さん、中へ。何故かセットで呼ばれ、同時に立ちあがる。顔面蒼白で中に進み、奥の診察台に並んで座らされた。蝋のような、漂白したてのような、白骨のような白い部屋にヤツの白髪は異様に馴染み、黒い自分は異質に浮いた。どことなく正面の壁が波打って見え、錯覚かと目を凝らせば、そこがべろりとめくれあがり生唾が出た。壁と思っていたのがカーテンだった。挙げたはずの声が出ない。重症だ。よれた白衣を引き摺ってきた医者が自分達を一瞥してから、もう手遅れだという響きで、
「最後に泣いたのはいつです?」と聞いた。
「覚えていない?」
 答えたくとも答える声が失せたのだから、どうしようもない。では重体の君から、と言って先に顎を掴まれたのはヤツの方だった。重体?
「ああ、生きているのが不思議なぐらいだね」
 大きく開かされたヤツの口腔をじっと覗き込みながら医者が言う。舌圧子で抑えつけられたベロの濡れた赤がちらついた。「ここまで詰まった涙は見たことがない」と述べながらバキュームで吸い上げていく濁音が部屋中に響く。全身に響く。嫌な音だ。涙の音だと思うと堪らない。ヤツの粘膜の色を覚えてしまった。涙で爛れた血の色が。
「ハイ終わり。次は君」と迫りくる掌に目を瞑る。強引に顎を下げられ、唇のあわいを舌圧子でこじあけられる。ぽっかり開かされた口腔にそそがれる視線の気配があった。
「ホラ、この透けているところが涙だ」
 と降ってくる医者の声は誰かに語りかける口ぶりだった。はっと目を見開く。ヤツの目と合った。幾度となく交わってきた目と合った。死にも生にも思う男のそこに、自分の粘膜の色が映り込む。「ここ?」とぞんざいに触れてきた指にオエッとえずく。オイなんでコイツにやらせてるんだ。とんだヤブ医者だと思いながら涙の詰まった喉を擦るヤツの指の柔さに、目頭が熱くなっていく。




5:真冬?と、しかめられたヤツの視線に絡まれ、立ち止まりたくもない道の真ん中で影も無い。陽射しにもろに貫かれた臓器がどろどろ溶かされ、出てくる汗が蝋のようだ。地面に垂れかけたその蝋を指でぬぐって舐め、しょっぱ、とちらつく舌が乾いてみえる。季節間違えた?と首を傾げながら袖の隙間から這入りこんでくるヤツの手のぬくみを感じていると、いつのまにかそれは死のように冷たくなって、袖の中で鋭く形を変えた。涼しくしてやるよの声と共に袖が切り裂かれる。一体どこに隠していたのかジョキ、ジョキ、と腕の周りを巡っていくハサミの刃で露わにされたのは肌だけではなかった。  

2024.06.23