張り替えたばかりの障子が破けている。その裂け目を覗いた沖田はどれだけ掻き分けようが無くならない闇に囚われた。
 来るな、という闇の声がする。見えもしなければ触れもしない漆黒が沖田を拒む。来るなと言われたら行くに決まっている。愚かな闇だ。沖田は障子に手をかけた。そこを開ける音は昼間とはまるで違い、些細な水滴でも滝にしてしまう。沖田の存在を音にする。闇を蹴り散らして踏み荒らす裸足を畳のささくれがチクチク刺す。どれだけ闇に紛れようと、沖田にはわかる。闇に乗じて数多に斬った。闇より暗い死を見てきた沖田には、畳を汚す赤黒い跡が、その先に横たわる男がわかる。
「モテる男は大変だ。色んな男の返り血を、そんなに浴びて。タマが幾つあっても足んねェだろうなァ……」
 どこでついたのか服の皺に溜まった砂らしきものを払った沖田の手から、降りかかる。畳に散る黒髪に。赤黒く濡れた隊服に。脱げかけの靴下に。ふりかけごはんならぬ、ふりかけ土方。不味そうだ。きっと酷い味がする。食べたら好きかもしれないわ。頭の奥で遠く声がした。食べなきゃ好きかどうかもわからない。一生わからない……闇を蹴った沖田の爪先が、土方のどこかに当たった。刹那「んぅっ……!!」という艶めかしい声が木霊した。真顔になった沖田の目が闇を凝視する。砂のようにざらつく土方の輪郭は今にも散らばりそうで、かろうじて人の形を保っているかのよう。それが畳を這いずって逃れようとしている。何から? 俺から。と感じた沖田は生理的に手を伸ばす。とらえた闇からまたもや声があがった。「うぁッ……!」刀傷や銃創による痛みの声とは違う。痛みが重いほど沈黙する男の、生そのもののような声。つかんだ闇は足首と思われた。指に当たる突起は、くるぶしか。靴下のずれた隙間に沖田の指が入り込む。「っふ、ゥ、」踵の皮をなぞりながら傾いでいく沖田の影がどす黒く伸びていく。ああ魂の色だ。これは俺の魂の色だ。
「逝かしてやろうか」
 人の言葉も忘れて息だけになった。今にも果てそうな体を畳に敷いて、闇の中の光をすくう。あまりにぬくいそれが沖田の指を濡らす。指のしずくを舐めると海の味がした。もう行けない海の味だった。沖田には行けない海の味だった。

2022.03.17/海の味