地下へと潜る階段はカビくさく、濡れた靴底の鳴らす不快さに意味なく振り返ったら生気のない男の目と合ったものの、それはついこないだ死にかけたにしてはいつもどおり。その肩越しに見える地上の雨は霞がかって、パラパラ目に降りかかるような気がするものだから危うく踏み外しかけた。おバカな死に方するとこだったな。と鼻で笑われたがお前にだけは言われたくない。千二百円でもなけなしの金を払って入ったそこはぶっ続けの三本上映で朝まで入れ替えもなく、一応中を覗いてスクリーンに映しだされた濡れ場を数秒眺めてから「見たい?」と耳打ちしてくる生ぬるい息をかわしつつ煙草に火をつけた。こないだ死にかけてたくせに。べっとり血で濡れた腹だとか擦り切れた布から覗く膝の肉だとか、いつも死んでるくせして実際死にかけたら逆にむらむら魂を放ったりするこの目の矛盾、などを連なりで回想してみたところで今ここにあるのは、足かっ開いて長椅子に沈みこんだ男の、どこまでもゆるい日常感。両腕を投げて天井を仰いでる男のそった喉仏にじっと意識を這わせていたら考えるのがアホらしくなって「はらへったな。カップ麺でも食うか」奢りを期待しつつ自販機に目を走らせる。
 結果、与えられたのはモナカアイスの半分だった。歯茎に沁みるそれにかぶりつきながらの会話は時々途切れて、そうして途切れれば扉の向こうから微かに漏れだす喘ぎ声がBGMである。近頃つるむ頻度が増えすぎて、昨日した話を平気で繰り返したりするし、その大半は明日にも忘れてしまう瞬間の連続でしかなく、バニラアイスがぶちゅっとはみでて指を伝っていくのを舐めようかどうしようかとかそういう日常しか今この瞬間にはない。たとえ明日、互いの知らぬところでおっ死んだとして。結局いらないレシートで指先をぬぐっていると、その下に重なっていたもう一枚にチラと見えた誕生日という文字。その皺を伸ばして何々…と読み上げる。
「お。歳の数だけ焼き鳥食えたらタダだと。行くか」
「よく見ろ当日限りって書いてっから」
「マジか今何時……あ」
「遅っせ〜んだよ……ア〜おめでとう??」
 まさにあと僅かで今日を終える寸前、見あげた時計のすぐ横、裂けた団地妻のポスターを目にしながら。ついでみたく言われたオメデトウは、こないだ死にかけてたくせに何よりも生々しい。と同時に肩で触れかけていた体温があっさり離れかかるのに、時々、信号でつかまったときやゲラゲラ笑った直後なんかにふっと距離を戻すあの瞬間にも似た追いすがるものを感じて気がつくと手首を引いていた。妙な間を置いてこちらを見た男の、繋ぎとめた手に彷徨わせる視線をどうしようかと思いながら俯いていると
「いいの」
 つむじに息がかかる。直接、触れている手首の脈が一瞬読めなくなった、と思ったら、これまでのなにもかもを超えてぐっと近くなる肌。なにか言おうとした言葉は飲み込むしかなくなって自分以外の唾も一緒にそれは喉奥へ押し戻された。そうして今度こそ何もなかったみたいに離れていった男は急に映画でも見る気になったのかなんなのか黙って扉向こうの暗がりへと消え、それを追いかけるでもなく、ひとり残されたロビー、団地妻の裂け目に向けて、ぽつり呟く。
 俺いくつになったんだっけ。

2017.06.15/思春期