ろくでなし二人から太陽の塔の写真が届いた。相次いで来たそれを信号待ちの間に見て、暮れかけの空がふいに迫った。なぜ今まで忘れていたのか、吸う息まで痛い落日の色だった。おそらくこれと地続きの空が、写真の中の太陽の塔を見おろしていた。説明はない。日がみるみる落ちる。置いていかれそうな空が写真の中と眼の前を波打って、同じ今だとただ思わせる。根拠もなく。そういうやつらだった。やることなすこと全部、根拠がない。生きるままだ。太陽の塔を正面からと背中それぞれから撮っている夕日の角度が、そこで交わす声がわかる。なんて返すか考える間もなく新たに来たホテルのURLに思考を投げ、背を向けた信号が青に変わる音を聞く。過ぎていく街並みの光も音も一色で今日が何の日か思い知る。偶然は怖い。通りざまに偶々来たバスに乗り込んで体温の残る座席に沈む。あの日も偶々自転車のカゴにペットボトルを忘れなければ多分一生関わらなかった。雨の駐輪場で鼻血を押さえた銀髪に「ティッシュない?」と話しかけらたりもしなかった。その隣で皮がえぐれて生ハムみたいな肉を晒した眼帯の手が、人の自転車のベルをチリンと鳴らした。その音に昼休みの終わりを告げるチャイムが重なった。隣のクラスでまあまあ悪名高いそいつらの纏う空気は見たまんま悪かった。吸える空気が微かしかないような窒息感を覚えた。同じ制服を着ているはずの、同じ十七の体が、やけに遠かった。水平線ぐらい遠かった。その海に足を浸けてしまったのが始まりだ。いや終わりだったかもしれない。いつか終わることを常に忘れさせない海だった。まどろむバスの窓に、さっきから制服が映っている。聞こえてくる会話の内容から終業式帰りの高校生だと分かる。降車ボタンを押した。

 ホテルの住所に向かっていると、また通知が鳴った。ケーキ屋からの予約完了メールのコピーで、受取日は今日だった。説明はない。マップを出すと、ちょうど曲がるべき路地にいた。どこかから見ているのかと疑うタイミングに、息をするようにパシってくる連中なのを今更思い出す。「土方」と呼ばれるたび、その無視できない引力に振り返ってきた。うるさいのにどこまでも聞いてしまう潮騒みたいな声だった。なかば投げやりに入店したケーキ屋で、メールに書かれた予約者名を名乗る。
「予約したサカ、あ?……サ、んタです」
 カタカナの罠で一字違うのを見落とした。はいサンタ様ですね、と対応した店員に「こちらでお間違いないでしょうか」と提示されたホールケーキがサンタクロースの顔だった。箱に詰めていく店員の手だけを見ていた。ありがとうございましたという声を背に自動ドアを出て、今度こそまっすぐホテルを目指す。暴力的な風が吹きつけた。
 辿り着いたホテルのロビーで待つ間、無駄に沈むソファからツリーの明滅を見続ける。明滅するものは世の中に数多あれど、そのどれもがどこか目に切ない。それをソファにいた先客の巨大なトナカイのぬいぐるみと並んで眺めていると「土方」と呼ばれた。変わらない響きだった。自分を振り向かせてきた声だった。ツリーから目を剥がす。振り返ったそこには、七色に光るトナカイのカチューシャをつけた坂田がいた。ツリーより明滅していた。その明滅をしばらく見てから立ち上がる。そのままフロントの横を素通りする坂田の後を追ってエレベーターに乗り込んだ。
「いいのかこれ俺入って」
「ああ三人で取ってある」
「何も持ってきてねえぞ」
「大丈夫、パンツは買ってあっから」
 何も大丈夫ではない。アホみたいな明滅がずっと目の前にある。「あっお前ケーキ傾いてる」と勢いよく振り向かれ、視界がチカチカした。
「な、言った? サンタって言った?」
「これがソナチネなら数秒後にてめえの頭は吹っ飛ぶ」
「お、確かに似てっかも、このエレベーター」
「どこがだよ」
「部屋、十一階」
「いや知らねえ」
 坂田は映画で覚えているシーンがいつも人と違った。大事なシーンは忘れる癖に、誰も覚えていないようなところはむやみに見ていて、同じ映画を見ている気がしなかった。その坂田の眼差しがふと自分を映し、「相変わらずお前は、意味不明なシーンでズビズビ泣くんだろ?」と首を傾いだ。「お前の泣くツボは高杉の笑うツボだからな。ある意味似てんだよ」
 十一階に着いてエレベーターを降りる。部屋番号の誘導サインをなぞって進む坂田のあたまでカチューシャは明滅し続ける。「いや梅田ダンジョン舐めてたわ。方向感覚をとことん狂わせてくる…つか無駄にある案内の矢印どこ指してんのアレ? 途中で消え失せたけど」などベラベラ連ねている間に部屋の前に着いてカードキーをかざす。部屋は50平米程、広いリビングスペースにロフトタイプの二段ベッド、キッチン付。そしてなぜか部屋中、光っている。ナイトクラブかというぐらい光っている。ミラーボールでもあるのかと巡らせた視界で、光の散らばった壁、天井、窓、床が星のように回って見える。その星の回転の中心に、高杉はいた。
「よお、土方」こちらに上がった顔にも星が流れていく。そこを坂田が「何、黄昏てんの?」と遮った。その顔が昔と重なる。部活帰りの空に星が流れて見上げていた自分を遮った声と全く同じだった。コンビニの青い光を背に肉まんを頬張っていたやつらから地続きの今があった。こちらの手からケーキの箱を掻っ攫い、冷蔵庫の前に屈んだ坂田は「スペースねえな」と言って中からワインボトルを出した。そのままキッチンへ向かい棚を端から開けていってグラスを見つけだす。そこにポツンとこの光の正体があった。シンクの上に置かれたスノードーム。球体の中で舞う雪のラメが不規則に飛び交って光を散らしていた。「てんしばのマーケットで買った」と坂田が言った。
「聞けよコイツ、てんしばを天使の場って書くと思ってたんだぜ」
「そりゃテメエだろ。天使の絵文字つけてたのは無意識か?」
「え、嘘」携帯を取り出して確かめる坂田のバカな呻きをよそに「コルク抜きは?」と高杉に聞く。貸せと出された手にボトルを渡す。ソファに近付いた足が何かを踏んだ。足を裏返して確かめると、そこにはパズルのピースがはりついていた。高杉の前にあるガラステーブルにはジグソーパズルが途中まで広がっていた。穴だらけだった。箱のパッケージの海を見た。「3000ピースだと」坂田がソファに沈む。ボトルのコルクをライターで炙りながら「デレク・ジャーマンが『青は目に見える闇の色』って言ってた意味を考えた」と高杉が言った。
「『感性の血の色は青』か」
 炎に炙られ上がってきたコルクを最後は手で抜く。グラスに注がれた赤がそれぞれの手に渡る。一口目の血に染みる感覚が好きだった。背後の一面ガラス張りの窓を覗く。ベタな夜景を想像していたが闇しか見えない。「なんのための窓だよ」
 それから数時間は海のパズルをやって、果てが見えなくなってきたところでシャワーに行った。妙に弱いシャワーの水圧を受けながら目を閉じる。閉じても海が見えた。穴のあいた海だった。ピースの欠けた海だった。
 入っている間に置いておくと言われたパンツはジンジャーブレッドマン柄だった。
 お前のどこで売ってんのか謎のマヨ柄より遥かにマシだろと言う坂田を蹴っ飛ばしたら、その風圧でパズルの一部が飛んでいって高杉がキレた。結局穴だらけのそれは放置され、サンタのホールケーキを切ることになった。箱から出す際に指についたクリームを「それくれ」と指ごと咥えてきた銀髪を毟った。指で感じる唾液の生ぬるさ。その横で真面目な顔でサンタクロースを切り刻む高杉に「お前よくそんな躊躇なくイケるな。サイコパスか?」と言う坂田の歯が指に当たる。歯形のついたその指で煙草を挟み、火をつけ、ケーキと交互に吸った。サンタの顎を高杉と分け合う。ヒゲのクリームが甘ったるい。鼻と頭は譲れないと言った坂田が苺でできたそこにフォークをぶっ刺していく。無惨になっていくサンタクロース。
 ケーキを食べたらもう何もやる気がなくなって、スノードームの光をただ寝そべって見ていた。そこで舞う雪の時間が、三人の間に積もっていった。このまま寝たら朝になる。別れの朝だ。次は何年後か。もう無いかもしれない。「夢の手前が一番天国に近い気がする。知らんけど」と言った誰かの声がよぎった。誰だったか思い出せない。覚えているものと、忘れていくもの。その違いもわからない。
「ごっつ眠いねんけど」
「エセ関西弁やめろ」
「お前、大阪もう長ぇのに全然関西弁出ねえよな。絶対職場で陰口言われてんぞ」
「うるせえ……高杉、場所変わってくれ」と体をよじったら足蹴で押し返される。そのままもつれるようにして、三人、動かなかった。空想上の生き物みたく一つの塊になっていた。
「このまま3Pでもするか。3000ピースは無理だったけど」とぶち壊す坂田の提案に、
「さむ」「エアコンの温度上げるか」となりながら、ひっついたままだった。ろくでもないセックスはもういい。ただ振り返る。擦れ合う体の悲しさはどこから来るのか。感じる息の寂しさはどこへ行くのか。振り返った先の海を。闇の青を。そのままの体勢で壁、天井、床を吹雪く光を見ていると「めっちゃ雪降ってる」と坂田がガキみたいな感想をこぼした。何を今更。「いや窓見ろって」
 喉をそって見上げると、そこにはスノードームの中と同じ雪が舞っていた。本物の雪だった。それこそガキみたいに口があく。このための窓だったのかと思うほど、そこに舞う雪は光って見えた。落ちていくようにも上っていくようにも見える雪だった。相当酔っていたので、これはスノードームを見すぎた夢かもしれない。天国に一番近いという夢の手前で、ふと今さらこみあげたこと。
 てんしばって、天使場じゃなかったのか。

2024.12.25/スノードリーム