「アー胸糞悪・・高杉の野郎・・」と便所に響く坂田の呟きは誰か入ってきた気配に噤まれた。その代わりにクアッと欠伸をして若干滲んだ視界で手を洗いに行くと、そこにボンヤリ立つ男の鏡越しの据わった目と交わった。男の頬に、なにかで擦ったような生傷があるのに目がいって、それから一秒と経たず「・・・土方?」と名前で呼んだ坂田に訝しげに顔をあげたそいつは無遠慮に視線を這わせた。主に坂田の天パに。それですぐ坂田とわかったらしい第一声が「ゲ」である。ゲ。ゲって何と吐いて、横の水道で手を洗う。センサーの反応悪く、少し引っ込めただけで止まる水を何度も出させては、ちらと鏡に目をやった。そこに映る土方の顔は相変わらずで数年前の夏だったかに横並びで啜ったラーメンの味を急に思った。そのあと店を出た瞬間の茹だるような灼熱と、横顔を伝う汗の粒を。道端で泣く子供をあやす母親がいた。アイスキャンディを舐めてる高校生を自然と目が追った。そして確か、その場で別れた。また会う確かな保障もなく。友人という間柄でもない。行ったラーメン屋の場所も思いだせない。たぶん行けと言われても、二度と辿り着けない。
「どうした、その顔」
「こけた」と短く返す土方の、どこか沁みた瞳が坂田を映す。酔ってふらついた拍子にコンクリのざらついた壁で擦ったのだと言う。拭くものを置いてきたので土方のハンカチを借りる。指紋がつくなとどうでもいいことを思う。ひとりかと聞くのでひとりじゃないと答えると、なぜか即座に高杉か?と察する土方に、坂田は高杉の話をした覚えが特にない。そんな坂田の疑問を置いて土方は「顔でわかる」と呟いた。どんな顔。・・・どっかで知らず名前を口に出したか。だとしても。それ覚えてんの・・・と突っ込みたい坂田の声を突如として遮る爆音が鳴った。坂田には聞き慣れた着信音。狭い空間のせいで余計に響く。噂の高杉の名がそこに表示されているのを見て舌打ちで出た。遅い何やってんだテメェと機嫌底辺の声がダダ漏れて、土方にも届く。うるせえ今戻るとこだっつうのと怒鳴り返しながら坂田は最後に土方を振り返った目で、別れを告げた。ほんの短い、遭遇だった。最後に見せた顔の、意味。うやむやにして高杉の元へ足早に向かう。いつだって、こうだった。また巡り合うかもしれないし、二度と巡り合わないかもしれない。
2018.03.12/遭遇