どよめきに、顔をあげた。年を越したらしい。新年を祝う灯が、路地に揺らめく。自販機の取り出し口から抜き取った、おしるこ缶に熱を分けられる。釣り銭を掻き出す。斜め上、買った煙草に火をつける高杉の手が見える。おしるこに、売切のランプが灯った。
吐く息が目に見える冬の人波に逆流して歩く。避けても避けても押し寄せる人の壁にうんざりして、流れに身を任せた。視界から高杉が、いなくなる。手に持ったままの空き缶を、早く捨ててしまいたい。ゴミ箱はそこら中にあるが、人波から抜け出せない。すれ違いざまに踏まれた靴紐がほどけて、つんのめった。掴まるものはない。空を切る手。そのまま吸い込まれるように手をついた地面は、酷く汚かった。ゴミだらけだった。様々な物が捨てられてあった。空き缶や吸い殻や紙屑。食べ残し。それらが散乱する地面を、無数の靴が踏みつけていく。ゴミにまみれて汚れた手を、風に撫ぜられる。
昨日の事を、考えていた。
紅白も終わる前から酔い潰れた。毛布を剥いでくる手にムリヤリ起こされた。一気に背中が寒い。あまりの寒さに引っ張り返そうと後ろにやった手は、別の何かにぶつかった。毛布ではない硬い手触りに目を開けた。微かに脈打つのを感じる。感じた方へ手をずらす。ここだ。指を広げて押し当てる。この中にある。どくどく言っている。振り向いた。振り向く前から、高杉だと知っていた。手の皮に、鼓動が吸いつく。じかに、心臓を掴まされた感覚。それともこれは己の脈か。どちらのものかわからぬ脈拍の中、高杉が顎で玄関の方を指す。起き上がった拍子に、腹の上からリモコンが滑り落ちた。テレビがつけっぱなしだった。トリの歌手が音もなく歌う。特に息も潜めず、跨ぐこともせず、雑魚寝のイビキに膨らむ複数の体を足蹴にして抜けだした。
年は去った。
昨日は去年になった。
はぐれたら帰るつもりが、人波に揉まれ、押し出された場所に高杉は立っていた。そこは、何かを待つ列の先頭だった。並んだ覚えはない。偶然、そこに並び立った俺達を呼ぶ声がある。ハイ次の方、どうぞ。同時に背後から押された。金を出すのを待つ巫女の眼に、自ずとポケットの中を探る。おしるこの釣銭しかそこには入っていない。数えても、金額に足りない。横の高杉が、手を広げた。そこから小銭がバラバラ落ちた。それが巫女の掌に吸い込まれる。煙草を買った釣銭だとわかる。それも微妙に足りてない。同じく巫女の手の皿にバラバラ落とした。背後から舌打ちが聞こえる。その場で足踏む苛立ちのような寒さを、この場の誰もが持っている。渡された、六角形の筒を目の下に見る。それを支える底で、高杉の手に触れた。逆さにする。一緒に振る。中で、運勢がごっちゃになる音がした。この年に巡ってくる幸も不幸も、ただの一本の棒になって、俺達の前に顔をだす。
「待人…来る、失物:失わず、旅行…遠き方利益多し、」
読む声が人ゴミに流される。
それでも不思議と、はぐれない。どれだけ歩きまわっても視界から外れない。声が届く。薄い紙を透かして見あげた。「末吉って、何番目」。
「結末が、吉ってことじゃねェか?」
すぐ近くから、ずれた答えが返ってきた。漏れた笑いに、運勢の書かれた薄紙がそよぐ。ぐしゃっと潰してポケットに突っ込む。その中に、高杉の脈があった。昔から、俺の中にある脈だった。心臓のような高杉の手。吸いつく鼓動。運勢の紙切れを握り潰して、その手に触れた。どくどく言っている。そのうち今度は参拝客に紛れ込み、新たな人波に流されるはめになったが、最後まで、神の前には導かれなかった。
2019.01.22/逝く年来る年