事務所にあった丸椅子をひきずって埠頭までやってきた沖田は、やぶけて綿がはみだしたクッションへ尻を落として海から吹きつけてくる風に前髪を巻きあげられながら土方へと電話をかけた。
わりとすぐ繋がった寝不足を滲ませた声「おまえ今どこだ」にほとんどかぶさるようにして、
「土方さん俺、蕎麦が食いてェんですが見渡す限り何処にも蕎麦屋がねェ」
海面から跳ねた水飛沫が椅子の足まで迫るのに瞳を揺らす。
「冷蔵庫には何もねェですし」
「どこの冷蔵庫だよ」
「今の土方さんの探し人のですよ。まァもう息はしてねェですが」
ろくな食生活など送っていなかっただろうことが窺い知れる冷蔵庫を、そういえば閉めてきただろうか。そのそばに転がっている開きっぱなしの目のほうは、あとで土方が律儀に閉めるだろう。潮風に染みる景色が眩しくも暗くも感じられて、風だけの沈黙が続くと、耳にこもる土方の息の根をとめているみたいだと沖田は思う。濡れたコンクリートを靴底が擦る音だけでしばらく過ぎて、やがて土方が「……お前はいつも、話すべき順序がおかしい」と息を吹き返すのに沖田は、そうですか?と鼻を啜った。それが土方にはどう聞こえたのか、「笑いごとじゃねェ。なにが蕎麦屋だ」と苛立ちで返してくるので本当にはは、と笑った。
「はあ、説教ならあとで蕎麦食いながら聞いてあげますよ」
「だからお前、今どこなん……」通話が切れた。あと少しで切れる電池を、いちばん使いたくない野郎に使ってしまった。反転した視界に、真っ暗な携帯の液晶と、倒れてゆらゆらと揺れている椅子の足がある。それがだんだんと霞んでいく沖田の目は、あと少しの風でちぎれていきそうなクッションの綿をとらえながら笑いをひきずっていた。耳にこもる波の音が、いつかの土方が蕎麦をすすりあげる音になる。テーブルを挟んだ向こう側、今より少し昔の空気で蕎麦をすする土方は、どこにでもある季節の話題なんかをふってきて沖田にわざと椅子を蹴られたりしても目つきが軽いままだった。陽の走る蕎麦屋を貸し切っている遅すぎた昼が空腹を埋めていくなかで、土方の蕎麦すする音に、沖田は聴覚を犯されつづけた。
『おい、聞いてんのか総悟』
『はあ、上機嫌な土方さんマジぶっ殺〜〜て話でしたっけ』
朝に駆けつけた土方は踏み入った事務所の点々と続く血を避けて進んだ先、開いた冷蔵庫と、そのそばに転がる開いたまぶたをじっと見てから、それを閉じてやるために膝を折って屈みこむ。刹那、沖田に殺された男の目と合った気がして引っこんだ土方の指が、宙でブレた。
2016.10.05/どこの冷蔵庫