待合室に風が吹き込んできたのは七秒で終わった通話の四十分後だった。禁煙という文字を瞳に据えて煙草をふかしていた高杉の脇に黙って腰をおろした坂田はそこでチョコの銀紙を剥がしはじめる。赤らんだ指先が立てる乾いた音が、ドア一枚隔てた電車の過ぎる音より際立った。
「テメェだけか」
「寝てたから置いてきた。で?何、お前の用って」
 機嫌の悪さが伝染してくる隣よりも、西日の中、坂田の部屋で寝ている土方の裸をよぎらせた高杉の目は冬らしく澱んでいた。咥えていた煙草を握りつぶしてポケットに突っ込んでから立ちあがった高杉を、なぞってもちあがる坂田の目も冬らしく死んでいた。待合室を出て行く高杉の背中が風で膨らむのに坂田は目を細め、半開きのままのそこに舌打った。このまま帰ってやろうかと思うが帰ったところで土方といる脳裏に高杉を浮かべそうで嫌だった。そうして高杉のあとから待合室を抜けでた坂田の身体にまたもや電車の風が当たる。振り向きさえしない高杉のあいかわらずの身勝手さと薄着が、少し先をはためいている。エスカレーターも改札も無言で過ぎて、横目で盗み見た値段の切符を買った坂田はやっぱりあんまし遠かったら引き返そうというぼんやりさでモノレールからの景色を瞳に流していた。その坂田の手首にひっかけられているレジ袋に反射する陽。視界にひっかかるそれが高杉の片側を光で潰していた。ずっと前にもこんなことがあった気がするし、なかった気もする。どっちにしろ、ろくでもなかった。
 一駅で立ちあがった高杉がモノレールを降りて向かった先は空港だった。スーツケースを転がしていく団体を尻目に高杉のあとを行く坂田は、最後に飛行機に乗ったのがいつか思い出せないでいる。医療ドラマを映しているラウンジに舟を漕いでいる頭たち、パタパタとめくれていくボードが行き先と時刻を変えていく。その前で立ちどまった高杉がめくれるそれを見あげたので、坂田もそうした。このままどこかへ行こうとまさか言われないとは思うが言われたらどうしようかと考える坂田の目に、めくれていく行き先、それが薄い空に飛び立っていく機体になる。
 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
 高杉が口をひらいたのはよりによって、爆音の中である。もちろん何も聞き取れなかった坂田は、聞きなおすのも面倒だったので、とりあえず、あァうん、と言った。その坂田から逸れていった高杉の目が、飛んでく飛行機よりも遠くなる。広すぎる滑走路を移動していく自転車が途方もなくて、笑いたい心地だった。人のまばらなデッキで、さらに一番端っこのベンチに腰をおろす。そこで坂田の手によってレジ袋から出てきたイチゴサンドを目にするや否や、高杉は、ここにいろ、とだけ言い残してどこかへ行ってしまった。便所か煙草か、と手元のイチゴサンドからフィルムを剥がす指先がすっかりかじかむそこに風が吹く。子連れの親が、ほおら見て、と指さす輪郭、そういう自分たちから遠いものはいつだって近くにあった。
 さっぶ……。
 フィルムを剥がすのをやめて坂田は立ちあがった。ひとつ下の階に喫煙所があった気がすると半端に剥いたイチゴサンドを手に自動ドアをくぐった先はぬくい静寂である。落ちかけている陽がそこらじゅうに散っていた。真綿で首を絞められて喘いでるみたいな陽の色だった。いくらも探さぬうちに高杉のことは見つけた。パン屋のディスプレイの前でそれこそ落日に溶けていた。知りすぎているその背中を他人の距離から見る、坂田の瞳孔は微塵もゆれない。


 ここにいろ、と言われたベンチで寒そうに縮こまっている坂田の元へ、高杉は戻ってきた。なんだそれ。バナナケーキ。という短すぎるやりとりでフィルムを剥がした。挟まれているイチゴの寒そうな赤が、抱かれて窒息してる誰かに見えた。そこに歯を立てた坂田はむしゃむしゃ咀嚼しながら、寄ってきた雀に目をやって、遠くの住宅街を揺らしはじめた光を見て、飛行機を誘導する灯を残滓で見た。昨夜土方に噛まれた下唇がひりつく。荒れてがさがさの表皮を手の甲でぬぐっている高杉を見た。目が合った。飛んでいく飛行機の明滅が、高杉の影に隠される。伸びてくる手。刹那。坂田はそれに瞬いてしまったのが、十年経っても癪だった。

2016.12.03/イチゴサンド