熱いココアに上唇をひたしたまま紙コップから目をあげた。足早に近づいてくる土方のぼやけた輪郭が次第にはっきりしてくるのにあわせて乾いていく。やがて助手席のドアが開く頃には陽も落ちた。入り込んでくる煙草の煙に僅かに混じる異臭は、ようやく麻痺しかけていた鼻腔をまた血なまぐさくする。会話をする気がぴくりとも起きなかった。ああたぶん、ココアを飲んでいなければ狸寝入りしていた。
「いねェと思ったら何、堂々と怠けてんだテメェは」
 落ちた陽の名残りでぼやけている目を遠くのコンテナに据えたまま、声をだすのがめんどくせェという本心を隠す気もないかったるさで「もうなんもすることねェでしょう」と答えた。ダマになったココアの表層をひとくち啜って、虫の死骸がクソほどこびりついたフロントガラスに映る土方を横目に映したが、さっきまで夕日にじりじりと焦がされていた眼では膜がはったみたいに霞む。まともが戻ってきていないぐちゃぐちゃとした脳味噌でする会話など意味もないのに、土方はいらぬ話を振ってくる。
 全ての返事を、土方死ね。でゆきたい。
「どこに、そんなもんあった」
「遺留品にあったバンホーテン400gでさァ。喉渇いてたんで」
「渇いてたんで、じゃねェよ。勝手に持ち出すなつってんだろうが」
 そのへんに転がしてあったココアの缶に気づいて手にとった土方が、底面の数字を読み取って、「……お前これ賞味期限、八年前だぞ」と言ったので、八年前って俺、何してたっけと考える。どうしようもなくガキだったという他ろくに思いだせることなどない記憶の中、さみしい姉の眼差しだけがはりついて、それが死にたくなるような幸福でパノラマに続いている。なんとなく隣に滑らした目に土方を映して視界を狭めた。
「ココアなんて滅多に飲まねェもんで、これが美味いのかマズいのか腐ってんのか、さっぱりわからねェや」とシートに背中で凭れかかると、持っていた紙コップを横から伸びてきた手に抜きとられる。それに口をつける土方の首筋にべっとりと血の赤が見えた。ひとくち含んだ喉を動かしてすぐ、「……ココアってこんな味だったか?」と眉間のしわを深める土方の横で、ようやくコンテナから運び出されていくブルーシートのかぶせられた死体を遠目に見送る。「はらへったなァ、朝からなんも食ってねェ」
 沈黙で車を走らせる帰り際、通りがかったサイゼリヤを見て、
「ドリンクバーにココアってありましたっけ」
 と、なにげなく呟いたそれで、飯を食って行くことになった。
 駐車場から、のろのろと上っていく階段の途中で振り返った土方が、とんとんと自身の唇を指して、「口のまわり、ついてるぞ」と疲れきった目で言う。
 いや、アンタの方がついてますがね。

2016.09.26/遺留品