おいタンマ。
 そう告げてから銀時は堤防のざらついた壁に手をついた。喉に引っかかった痰の塊を吐いていると「運動不足か?」という声が降りかかる。そういう高杉もどさくさに壁にもたれ、ずった背中のシャツがめくれるのが見えた。運動どころか飯もアシも服も女も何もかもが不足している今、銀時は唯一あるマッカランのキャップを捻った。高杉はシガリロだった。缶から一本抜いて咥えてから気づいたのか「火がねェ」と漏らし、バカだと銀時は笑った。笑いながらコルク栓を引き抜くと、剥がれかけのかろうじてひっついていた爪がどっかに飛んでいった。剥き出しの肉に風が当たる。痛みを紛らわすつもりで煽ったマッカランが喉を焼く。一瞬引っ込んだ悪寒はすぐぶりかえす。真っ先に酒や煙草をパクったが、見張りの男たちの服も剥いどきゃよかった。笑う。息をする。やることなすことすべて痛い銀時の手が、舞い落ちてくる雪を掴む。窓から外に出た際にはもう降っていた。粉というより埃。そんな雪が消毒液をぶっかけられるより沁みた。
「で、どこだここ?」
「さァな」
「拉致られてから小一時間は走ってたよな?」
「目張りの隙間から船が見えた」
「まぁ確かなのは、どっかの海……あー考えるの面倒くせぇ、とりあえず歩いてたらどっか着くだろ。せめて明るいとこ……さっきから暗くてなんも見えねェ。お前しか見えねェ」アレ? 下手な殺し文句みたいになった。身震いしながら擦過傷がえぐい手首に息を吹きかける。
「縛られてるとき冬の縄跳びの痛さ思いだしたわ。脛とか手とかに当たったときの……」
 相槌さえ打たなくなった高杉に横目をずらすが、何も見えない。闇と雪に遮られ、いるのかどうかもわからない。銀時が見ているのは、光の下で見た高杉の残像でしかない。風の音がする。縄跳びが風を切る音みたいに。
 銀時は手を伸ばした。
 高杉の存在を探るため。
 案外すぐに見つかった。爪先が高杉のどこかを掠め、衣擦れの音がした。
「なんだ?」
「いねえのかと」
「もう死んでたりしてな」
「足あるか?」
 その間も手は高杉に触れたまま。おそらく首の皮。かさぶたの感触。血管の隆起。監禁生活を抜きにしても久々の人肌だった。高杉の脈を感じた。
 生きてるうちに。銀時は朦朧と思った。生きてる間じゃないと意味がない。思ったときにはもう体が高杉に行っていた。首の皮に舌をつけて吸うと、肘鉄を食らった。鼻の粘膜が濡れたのを無視してまさぐると足がある。
「生きてたな、よかったな」
「よくねえよ、何してんだテメェ」
 息がかかる。血の匂いがする。交代で受けた暴力の、同じ痛みの味。その間も永遠に腹パンを受け続けているそこが空っぽでよかった。いやマッカラン飲んだかと思いながら咥内の粘膜に割り入った銀時の舌は、閻魔より先に引っこ抜かれそうな血の海に溺れた。
「溜まりすぎてイカれたか」
「だってお前しかいねェ」また下手な殺し文句みたいになった。血の唾で繋がった高杉の「ゴムくせぇ」に「あぁ、ねぇけど外で出すって」と返せば、拳で殴られ、また流血。このままいくとリンチより致命傷になりそうだったので「そんな飲んでねェ」と言い直す。お前も飲めば? とマッカランを差し出せば、それに口をつけた高杉が「空じゃねェか」と瓶を投げた。地面で砕けた音が闇に散った。「正気じゃねェ」
 そこからなにやらアルコールチェックがはじまった。まっすぐ歩いてみせろと。仕方なくその場で歩いてみせると、そこじゃねェと言う。
「あっちだ」
 高杉が指した堤防の上を見た。どちらかといえば仰ぐといったほうが近い。
「死ねってか?」
 思わず笑うと、高杉も笑った。冗談半分の顔だった。高杉の冗談はいつも半分だった。昔からそうだった。それなら、残り半分は?
 銀時は目の前の堤防に手を這わす。仰いでも、ここから海は見えない。高杉は火のないシガリロを噛み潰したまま、だんだん冗談に傾いていく目をした。残り半分が遠のいていく。銀時は一歩退がった。そのまま退がり続け、堤防からも高杉からも遠ざかると、今度は助走をつけて壁めがけて跳んだ。斜面の窪みに足をかけ、なんとかつかまると後は握力で這い上がった。膝で立ち、海を覗く。結局なにも見えやしない。でも海はある。高杉と同じだ。波打っている。生きて、そこに。
「落ちずに行けたらヤリまくる」
 飛んできた石を避ける。
 手を水平にして、銀時は踏み出した。

2023.02.28/生きてる間