6、犬小屋
「梅干しみてェじゃね?」
自身の肘のシワを寄せ集めて呟く銀髪が、ベンチを背中でずった。
一度おりて、またやんわりとあがるその目の前で、バスの扉は折り畳まれる。終点に辿り着いたバスは、今度は始点へ折り返す。見送ったバスの台数の分だけ、空の色は移り変わった。来たから乗る、といった風に何の逡巡もなく来たバスに乗りこむ男の体を引きとめてしまった手を握りこむ。乗る前に吸い溜めさせろ。そう言った。掴まれた腕をまず見おろして、それからこちらへと動く死んだ目がそのまま黙ってベンチへ沈む。吸い溜めにも限度がある。脳に血がいかず、さすがに目が回ってきた。同じ空間にいる吸わない男の存在を、吸いこむたび感じる。注意深く、道の先に目をおくる。来るならこの道だった。最後の一本を吸い終えた。バスが来るのが見えた。立ちあがった横の体を、もう引きとめなかった。行きは三人だったバスが、帰りは二人になった。沈んだ座席から舞った埃に、咳き込んだ。
十日が過ぎた。
朝から続いていた騒音が聞こえなくなったと思い、壁の穴から隣へ出向く。そこら中にひっくりかえったダンボール箱を見回す。畳を濡らす、びちょびちょの雑巾を跨いだそこにトイレブラシを握ったまま大の字で力尽きている男を見下ろす。こちらの影に敷かれて、「不法侵入…?」と漏らすのに、てめえが言うか?と返すと、息だけで笑った。短い間に不法に侵入し続けてきた隣人の、ぬかるんだその目と合った。
「ダン箱ひっくりかえして、なんか探し物か」
「いや、いちご牛…」
「いちご?」
「や、いいわ…どうせもう乗ることもねェー」
話が見えず、とりあえず持ってきたチラシを男の顔へ落とす。それにフガフガ顔を覆われながら、俺は死体か?と鼻息でチラシを吹く男の虚ろな目。
「卵の割引。千円以上買ったら半額。行くぞ」
鼻を噛むように顔からチラシをつまみあげ、「半額…」と反芻して曇る目に、着替えろ早く、と追い立てた。「めんどくせえから卵はお前が産めば」片腕だけ袖に突っ込んだ状態で言う笑えもしない冗談は完全無視で、他に買うもんねえか?と勝手に冷蔵庫を開く。と同時、開けたそこから何かが雪崩れ落ちてきた。足に落ちてきたそれを数秒、見おろす。乳白色の容器に記された、とっくに賞味期限の切れた日付を見た。それを拾いあげる背後で、「夕日が熱い…」という声を聞く。まぶたをふせる。財布を取りに自分の部屋へ戻った。そのあとからついてきて、当たり前に境目を跨ぎ、こちらに渡ってきた男が、窓に薄っすら目を細めた。なんだこれ。そこに透けているものを見て首を傾げた。
「ゴジラ?」
「あァ、たぶん前の住人。結露使ってかいたんだろ」
スーパーに着く。たしかに夕方は熱かった。その赤い残滓を残す目に、となりの男をちらつかせながら店内を歩く。卵は最後の一パックだった。千円分に届かすため、適当に酒やツマミを手に取った。ショーケースの奥の下に手を突っ込み、アイスの箱を下の方から取ろうとする男に「いや溶けるだろ」と言うと、ドライアイス突っ込みゃ大丈夫と返してカゴに放ってくる。それでもまだ千円に足んねえと見渡して、適当に桃のパックを手にとるその横顔を、じっと見た。
「桃も、もう終わりか…」
スーパーを出た道で、レジ袋を押しつけられる。もうこのまま仕事行くわ。と言い置いて逆方向へ歩いて行く背中に、口を開きかけ、なまぬるい空気を飲む。
そこへ「あ、」と立ちどまって振り向く顔が「卵。割んなよ」。
「割んねェよ。それより明日朝、スクランブルエッグ」
「へえへえ、マヨまみれのな」
元から曖昧な境目が、さらに濁っていく。
帰ると、つけっぱなしのテレビの前で寝返りをうつ体がある。現場から帰ったままの汚れた作業着が、畳に立てる僅かな衣擦れ。寝ているのかと思い、覗きこむと、起きていた。その虚ろな目が、こちらを見あげて揺れた。音のないテレビの前で、澱みを奥に閉じ込めるように目を閉じた。その目蓋を、テレビの光が滑り落ちていく。
時に、その光はパチンコ台からのものになって、音の洪水の中、跳ねまわる玉をなぞって動いた。そこに生まれる欠伸の水気が、今にも伝い落ちそうだった。
「あかん めっちゃ ねむい」
「エセ関西弁は敵を増やすぞ」
吸ってる煙草の灰を、ハンドルを回す手に落とす。
「あっづぁ!」
「目ェ覚めたか」
「てんめええぇ俺の絶妙な捻り打ちが狂っただろーが!!」
そんな、ふしだらな朝に埋もれながら、なぜかふいにメッタ刺しに殴られている感覚によく陥った。淡々と過ぎる日々の、なにげない刹那が自分を殴る。
パチンコ屋で、隣にあった横顔を、深夜、バリケードの向こうに見つけた。普段通らない逆方向から団地に向かっている道の途中だった。工事音が断続的に地面を響かせていた。道路に看板が出ている。安全第一のフェンスを横目に、細い迂回路を歩く。バリケードの向こうにちらつくヘルメットが、土埃の舞うライトに反射する。見つけたのは偶然だった。作業の手をとめ、シャツの肩口で汗をぬぐう男に自然と吸い寄せられた。ただ目に入れているだけで、同じ土埃を吸う感覚に、喉を詰める。唾の通る粘膜が、いがらっぽい。薄汚れた顔がふっとこちらを向く。夜にまぎれて、立ち去った。昼間の陽射しに匹敵するライトの照りつけが、しばらく目の奥に残った。昼も夜もあんなのを浴び続けている男の、テレビをつけっぱなしで寝ている顔や、朝からパチンコ台へそそぐ目が、団地に帰り着くまで明滅し続けた。通行人がいてもいなくても道がある限り、信号は赤と青の明滅を繰り返す。
ある日の深夜、団地に帰り着くと、エレベーターが使えなくなっていた。故障中の張り紙を暗がりに読み取り、チッと舌打ってから上りだす階段を、闇が絡めとる。エレベーターホールの壁に塞がれ、踊り場から外の景色は見えない。焦げた色で錆びつく手すりを握り、側面の方から下を覗きこみながら上った。近かった地面が徐々に遠ざかる。普段見る事のない各部屋の扉の前を荒い息で通過した。自身の足音が頭蓋に響く。乱れ打つ脈に、耳が籠もる。最後の踊り場を曲がり、ぎょっと硬直した。階段の闇に、座りこむ体があった。闇に凝らす目に、そこだけ息づいて映る。荒れた息がさらに上擦る。気配を察して、俯いていた銀髪がもちあがった。同じく、こちらの闇に絞られる眼が、空気を伝ってくる。
「おかえり」
「……」
「アレ、返事がねェ。まさか幽霊」
「どっちがだよ。心臓に悪ィ…」
のぼっていきながら、何してると問うと、「いや夕方、そっちの玄関から出たろ。うっかり鍵、部屋に置いたまま」と来て、うっかりにも程がある…と頭が痛み、ますます濁る境目を思う。破れた壁を通じての行き来が、互いの玄関を見え辛くする。濁れば濁るだけ、見えない物が濃くなっていく。ここで、どのぐらいの時間、自分を待っていたのか。開け放たれていることが多かった隣の玄関は、その隙間を完全に閉じ、中からの光が漏れなくなった。こちらの玄関から出ていく夕方の背中を浮かべ、鍵を握りこむ。無職のくせにいつもどこほっつき歩いてんの。「うるせえ」と答えた。うるせえ、そんな事より、うち入れ。扉を全開で開けて振り向くと、やつはまだ階段にじっと座りこんだままだった。微塵も動こうとしない。その背中を中心に据えたまま、支えていた扉から離れる。閉まる音が、重く響く。狭い階段で、となりに雑に腰を落とした。微妙に埃が舞って、粉状の闇になる。肩が擦れ合う。唯一、闇が薄れる踊り場に視線を落とす。月が点でしか写らないと喚いていた女子高生の声が、ふとよぎる。あのとき電車に揺られながら拾った声を、なぜ今、思いだすのか。この眼で見たものを、そのままで残せない。その感覚がふと、ここにある今を取り込むことで強まった。目の前にある今も、そうしていつか点になる。
すぐそこにいる男に、手が出た。
風に煽られたり、汗を飛び散らせていた。どこにいても目をひく。視界の端にちらついていた、その髪にはじめて指先が触れる。毛穴にも神経はある。弱い刺激にも関わらず、微かな反応が指先に乗って返ってきた。そのままぐしゃりと掻き乱せば、わずかに湿り気を帯びている。ヘルメットは頭皮が蒸すと以前言っていた。熱帯夜だった。むっと群がる闇を目で掻き分ける。こちらへゆっくり浮上する眼の濁りが、水中で息のもたぬ獣じみていた。「虹?」と反芻した、あの日の泡がそこに、ぶくりと沸いて見える。
こないだまで中古CDのワゴンセールをしていた一角が、ヨーヨー釣りの屋台に変わっている。その屋台に百円玉を差し出して釣り針を受け取る手に呆れながら、数週間前ここで鳴っていた曲が勝手に頭に流れだす。それが、ヤツの口笛と重なる。ちょうど今立つあたりに、あの日、やつらは立っていた。二言三言、何かを交わして離れていく二人を見たのは、ついこないだに関わらず、それは日に日に色褪せていく。
「あ、ちぎれた」
引きちぎれた、こよりからの雫が、視界に降った。釣っても釣れなくても必ず土産に一個はもらえるそれを左手の中指にぶらさげ、歩き出す。中指から垂れた水玉模様が、伸び縮みするのが何度も視界をかすめる。
その翌日には、萎んだ水風船が団地の溝に落ちていた。
夜、窓からずかずかと入り込んできたやつの吐く息は酒臭かった。土産と言う手に、551の紙袋がぶらぶら揺れていた。それをこちらに押しつけ、ふらつきながら畳を踏んでいく裸足を見た。紙袋の中身は豚まんだった。この強烈な匂いを道に振り撒きながら帰ってきた男はといえば、製氷ケースに直接突っ込んだ手で氷を鷲掴んでいた。この酔っ払い、手ェ洗ってねえだろ。「冷てえ」当たり前のことを呟き、その鷲掴んだ氷を、こちらの飲みかけのグラスに落とし、ハハと笑う。赤らんだ手は、豚まんに伸びてきて今度は「ぬくい」。底に貼ってある竹の皮を剥がす指に、焦点をぼかす。「だから手ェ洗えや」半分に割られた中から肉汁がこぼれかかる。それに比べ、いくら絞っても何もこぼれてきそうにない乾いた男の眼。何が可笑しいのか、まだ薄っすら笑いを浮かべ、「♪あるとき〜」という歌でかぶりつく。口いっぱいにそれを頬張って寝転がった。「♪ないときぃ〜…」ガフッとむせて咳き込む背中を、さすった。いくらさすっても、咳き込み続けた。
どこかで飲んでくる回数が増えた。飲んで頭のよわくなった生き物が毎日のように窓から押し入ってくる。社会の窓を全開にした男の、「チャックが布噛んで、びくともしねェ」という訴えに、どうしろというのか。あまりのしょうもなさに頭痛がしてくる。ズボンのチャックを指で摘まみながら助けを求めてくる男を無視して、煙草を吸った。
「あーダメ。助けて。ちんこ痛え」
背後の声に、耳がこもる。背中にぐりぐりと、押しつけられる。嫌々、振り向く。男の前に膝をつき、開いたチャックに指を伸ばした。チャックは強く布地を噛み、微動だにしない。皺をピンと引っ張りながら、噛んだのとは逆方向に力ずくで引き戻そうとすると、つむじに生温かい風が、かかった。眼の先にある、開いたそこからはみだす下着、そこから這いのぼっていく視界に、真上から降ってきた息の風がかかる。
「はは、しゃぶられてるみてェ」 その擦切れた目のどこにも、光はない。
その日、なんとなく待ち伏せた。
ポストの影、吸殻を踏みつけていると、背後の声が集まりだす。じっと息を殺す。まだ消えきっていない赤い残滓が、闇で唯一、眼を灯す。ぞろぞろと移動する足音が近くを通っていく。ゆっくりとそちらへずらす眼球に、暗がりに蠢く集団が飛び込んだ。ざっと彷徨わせる。その中に、あの白い頭を見つけ、咥えていた煙草も地面に捨てた。いくらかの談笑の後、お疲れという声で、ひとり群れから離れていく背中のあとを尾ける。疲弊しているのか歩みが遅い。夜道に動く影は、自分達だけだった。その足は今のところ団地の方向へ向かっている。いつもの道の、昼間よりさらに静寂に落ちた住宅街の隙間を、芯の入った安全靴の重い足音がうるさく響く。抜き足で使う筋肉が久々にはりつめるのを感じる。尾行は、辞めた仕事では日常だった。歩く限り、人はどこかに行き着く。
立ちどまった。
なにもない道の途中だった。
ふらり電柱の影になった。そこで既視感をおぼえる。以前にもこうして、ここに立った感覚に襲われた。電柱の影から様子を窺った。向こうが立つのも、電柱の影だった。絞った視界で、ここがどこだかわかった。室外機…、錆びたアンテナ…、蔦の這う壁…サッシ窓…、やつの視線の先にあるのは、あの犬小屋だった。海に行ったあの日を境に、犬は消えてしまった。何度通っても、そこはからっぽのままだった。道を、風が走ってくる。なにもない空洞を見て、じっと立ち続ける男の息が、その風に運ばれてくる気がした。
あの日、消えたのは犬だけではなかった。
やつの顔が、こちらを向いた。
すかさず闇に紛れ込む。漏れだす息を細め、思考の波も打ち止める。耳に、足音が引き返してくる。やはりまっすぐ帰るつもりはないらしい。違う路地に逸れた背中の後を追って角を曲がった。僅かな外灯の下を行く白い頭の周囲に、もわんと靄が飛び交った。同じく外灯の下を通ると、それが蚊柱だとわかる。群れをなして、払っても払っても頭の周りをくっついてくる。脳食い虫というやつだった。歩くほど、からっぽになっていく。実際、脳を食われているのかもしれない。あいつも、俺も。
住宅街から外れ、路地深くまで入ったところで空気が変わった。こんな土地でも、あるところにはある。表立った看板は出ていないが歩き回れば嫌でも路地の闇にちらほら立つ女が目につく。薄着で煙草を深く吸う彼女たちは、目を合わすだけで的確に、こちらの懐具合を読む。実際、数歩先で捕まった白い頭は、左の五本指に、右の一本を足して女に示していた。六万?とこちらが思ったのと同時、「六千!?」という女の声が路地に響いた。結果、即、手を振られて置き去られた男は、指を崩した両手をポケットに突っ込み、また歩きはじめる。その足取りは、滅茶苦茶なようで、地につく足の一歩一歩にどこか目的地があることを思わせた。案の定、それまでぶらついていた足は、とあるスナックの前で立ちどまる。その場で安全靴の底を地面に擦りつけると、中へと入っていった。同じくスナックの前まで来て、中が見えない古びた扉の前で、ちょっとの間、逡巡した。毎晩、ここで飲んでいる?それならいい。何の問題もない。隣人に怪しい点は何もない。男の立っていた地面に擦れた泥の跡が見えた。同時に、あの日、防波堤についた泥の跡が、残像で走る。
唐突に、スナックの扉が開いた。
地面を見ていた視界に、どろどろの汚い安全靴が飛び込んでくる。咄嗟の言い訳を考える間もなく、おい、とかかる声に顔をあげた。目が合った。遅えよと、その口が言う。伸びてきた手に腕を掴まれる。ぐいと引っ張られ、スナックの中へ連れ込まれた。
「やっぱ来てたわ、ツレ」
「は?」
腕を引かれて座らされた赤のボックス席から、見あげた男の輪郭をふちどる光、カウンターの向こうで年嵩の女が煙草を灰皿に押しつけて、横目を流してきた。なんや、その男前も共犯か?そう言った。なんだ共犯て、俺がいつ罪を犯したよ…言いながら、ぼすっと隣に沈んできた男の「水割りでいいよな?」に肯定も否定もせず、ただその汗に濡れた首筋を見た。水割りは薄かった。共犯、という二文字が頭を渦巻いた。いやツケで飲んでるだけだって。グラスのふちに口をつけ、傾けた底を通して、そう言う顔を見た。薄いウイスキーが、そこに揺蕩う男をぼかした。
閉店まで飲んだ。店を出ていく背中の後に続いて見えた空は、青みがかっていた。言うまでもなく団地のほうへ歩きだして並ぶ隣り合わせの体が、時々、芯がブレたみたいにふらつく。そのたび一瞬だけ視界から外れては、また戻ってくる男の体臭に無言で歩いた。僅かな外灯の下を通って、脳を食われる。あたまが、からになっていく。
「尾行、なんで気づいた?」
「匂い」
「犬かテメェは」
からっぽの犬小屋の前を通過する。歩くのに合わせてブレる手が、交互に空を切った。やがて見えだす団地群は、次々と同じかたちで迫ってきて、合間にあらわれるブランコのぎいぎいと不気味に軋む揺れ。暗く塗り潰された自分達の棟へ帰り着き、故障中の張り紙をガンと殴る拳、階段を踏む足元を闇が絡めとる。階ごとにいちいち下を覗きこみながら上っていく。近かった地面が徐々に遠ざかる。二人分の足音が頭蓋に響く。乱れ打つ脈に耳が籠もる。最後の踊り場を曲がる。手首を掴まれた。段差へかけた足がずるっと滑った。体が傾く。宙に投げ出されるその瞬間、からっぽの犬小屋で見た、千切れたリードの切れ端が、思考に垂れてきた。首を引っ張られる感じがあった。そうして引きずりおろされた着地先、獣に近い男の眼に、上下する自分の肩を見る。酒臭い息を漏らしながら迫る口にちらつくそれが、犬の舌を思わせる。ぬるりとした熱が、こちらの手首を這った。ゆっくり下から上へ、男の舌が、そこに浮く血管の青い筋をなぞる。あたまは、からのままだった。洗ってねえから汚い。そんなことを思いながら、闇に唯一溶けていかない銀糸を見ていた。
「しょっぺえ」
人より短い手のひらの生命線が、唾液の筋で伸ばされるのを。じっと見る。ようやく絞り出た「おい…」が、果汁のような声で滴った。そこにある水分だか塩分だかを飲み込んで嚥下する男の喉に、視界が波打つ。「う…、」指の股まで舐められ、さすがに拒否感がこみあげた。男の向こう脛を蹴っ飛ばす。ガツッと鈍い音が響く。微かに呻いた男が、身を引く。その際、爪が、やつの唇を引っ掻いた。その口を手で押さえ、やべえ、と漏らす。
「勃った」
正気じゃない呟きを聞いた。口から離れた手は、そのままズボンのチャックへと動いた。チャックが下げられる気配の中、やつの口に滲む黒い澱みを見る。闇で見る、血の色だった。からのあたまに、風の音がする。それは人の声のような轟音だった。
「穴あけ損ねたみてェな痕」
カリッ。爪の先に耳を掻かれ、そこに這う目を感じる。
「あァそうか。先にアイツのツバつけられてんだっけか…?」
瞬間、なにもかもが腑に落ちた。
アイツは多分、見られていると知っていた。知ったうえで自分に触れた。寝ていると見せかけて薄っすら開くこの死んだ目に、それを観察させていた。
耳穴に、ふっと息を吐きかけられる。あきらかに、その息の密度が違う。俺の体内で、やつらの息が交じり合う。あのとき噛まれた耳朶に、今この瞬間、食い込んでくる違う歯の、息に、籠もる。密着した体の間で、自身を扱きはじめた男の、乾きから湿りへと変わっていく音を聞く。(ああ。俺も、穴だらけじゃねえか)食い込んでくる息に、思う。
「っあー…出る…」
いく手前の、はりつめた腕をぐっと掴む。一緒になって息を詰める。粘つくそれを受けた手を見おろす目が、「おまえも、」と言った。ぬるついた指を咥内に差し込まれた。吐き出したばかりの精液を雑に舌に塗りこまれ、今度はこちらのものを膝でぐりぐり突き上げてくる。一気に集まる熱に視界を真っ赤にされるのが、暴力と同じだった。閉じたくても閉じられない口から指を伝って外へツウと垂れ流れる白濁を、すくいとって押し戻される。
「っふ…ぅ」
「いく時、俺の飲めよ」
即物的な刺激で追いつめてくる膝の振動が、背中から壁を伝い、団地全体を揺さぶる気がした。嚥下しようと上下する喉を外側から指でなぞられる。それを飲む濁音に、支配される。痛みの果て、殴られたら血が出るように精液が散った。
次の日、窓をどんと叩いてくるのはいつもの乾いた目だった。それが見えるや否やタオルケットを頭にかぶる。初めて、窓を施錠した。昨日の今日で普通に来るあの神経を殴りたい。しつこく叩かれる窓の振動に、ベランダの壁と同様、そこも割られてしまう想像をした。想像の中で飛び散る破片を、拾う気にもなれない。
冷房がない部屋で窓を閉めきり、タオルケットまで頭にかぶって、なんの地獄だ…頭に熱がこもっていく。そこをくるんでいるだけで、全身から水分が出ていく。どんっ、どんっ。叩かれ続ける窓、うるせえ、暑い。沸騰する。五分も経たずに限界は来た。そっとタオルケットから顔を出す。ぼやける。取り込む空気に、生き返った心地になりながら振り向いたそこに、まだいた。じっと突っ立っている。窓にはりつく手が、赤らんでいた。外は熱帯夜、中は蒸し地獄、窓にはりついている汗だくと、タオルケットにくるまる汗だくの、この状態はなんだと思ったら急にすべてが馬鹿馬鹿しくなり、タオルケットを蹴っ飛ばした。起き上がる。窓を見た。そこにいる男の目が、寄せては返す。放っておけば、いずれ引いていくだけの波。それが暴力的なまでに足元をすくう。自分達は、さみしいんだろうか?立ちあがる。自分と同じ男に求めるものは何もない。そこには何もない。何もないなら別にいい。踏み出した足が、打ち寄せる波に浸かっていく。
窓を開け放ったところで、たいして風はなかった。
「溶ける」
雪崩れかかってきた体を受けとめる。ぬめる肌と肌が吸いついて、たしかにそこから、どろどろ溶けた。抱く腕に力をこめた。ふ、と笑う息がかかって
「梅干しみてェだろ?」見せてくるその肘のしわをペロっと舐めた。
「梅干しより、しょっぺえよ」
男に挿れんの痛え〜…
耳に這う声と共に、奥まで埋められる。漏れかかる声に手を噛んだ。伸びた皮膚が歯の間にあった。中にある存在に、血の味が咥内に広がった。中に他人がいる。こんなことになって、お前の数百倍は痛い。言い返したい声は声にならず、中の粘膜を擦って引いていく男の形が嫌というほどわかって視界に膜がはった。浅い場所までまたゆっくり引いていく。そしてさらに強く打ち寄せる。「待…っ、ぁ」奥のどこかを引っかくように蠢いて聞こえる粘った水音に耳が浸かる。深くて息が吸えない。小刻みに激しさを増すそれに、絶えず死んでしまいそうに生々しい息がかかった。上から下から横から、その息の波は押し寄せる。どこか乾いて擦り切れた目からも打ち寄せる。溺れ死ぬほど飲まされる。
次も、その次もそうだった。
気まぐれに犯された。唐突にあの眼は打ち寄せ、有無を言わせず中を埋めてくる。さっきまで魚の小骨を食うか食わないかの話をしていたかと思えば、玄関に入った直後のドアに縫いけられる。どこでなんのスイッチが入るのか急激に性の空気にもっていくそれは息する間も与えない。支配と名のつく力で押さえつけられ、後ろで手もまとめて捩じられ、抵抗をすべて封じたうえでの「していい?」うなじを吸いながらの短い確認は、すでに中を犯す指に、拒む声さえ奪われた。一度ゆるした体は、好きなようにされた。散々、指で焦らされた中に、後ろから入られるとき偶々、擦りつけていた前髪がめくれあがり、覗き窓の外が目に入る。今、そこはだれもいない。誰もいないのに、やつらがずっと見えていた。最初の夜、ここから覗いたあの空虚な光が、今、自分を揺さぶっている。荒い息の合間、たまに上擦ったように「俺を呼べよ」と云う。
「名前。知ってんだろ」
知ってる
「だったら、ほら」
うるせえ呼ばねえよ
「なんで」
知るか
お前を呼ぶアイツが明滅する。アイツに呼ばれるお前が明滅する。こみあげて口いっぱい血になった。点だった果てが近づいて、腰を掴みなおされる。
あっけない。
そこにいくまでの過程もまっしろに潰され、ただ果てに向かって息するだけの身体になった。顔を掴まれ、むりやり振り向かされる。底から水面を探す目で、合った。生きていて水面なんてどこにもない。時々、偶然掴める手があるだけだった。いずれ死ぬ何かにあらがい、今交わる体が熱かった。ちっぽけな今を交わる。呼び合う名前もなく、がさついた手に口を塞がれる。漏れる声をすべて吸収するその手のひらが、こちらの息に籠もっていく。果てが見える。今だけ同じ最後が見える。獣の息で、そこに行く。吐き出す間近な、動きになる。最後に向かっての、角度を探しはじめる。
「ぁっ、あ、んう、っ…ハア」
「ハアッ、ハア、ぁ、く…っ」
繋がる水音に荒い息。
汚される気配に、体はびくつく。
果てる手前に震える声が、かすれていった。
血がとまるほど握り込まれた手を、ひとりの時間に見ては何もないと、また乾く。風に撫ぜられるたび、吸われた首を上からおさえた。そこで打つ脈が記憶だった。まずい精液を浴びながら洗われた気になる。そんなクソみたいな記憶が、そこで脈打ち続ける。
いまだ冷蔵庫以外、目につくものがない。ダンボールの中身も必要なときしか出さない。いつでもすぐ出ていける部屋だった。見回す。マジックで「映画」と書かれたダンボールを見つけ、これ見ていいか?と投げかければ水音に混じって適当な相槌が返ってくる。粘着性を失った乾いたガムテープを剥がすと陽の匂いがした。覗いた中はDVDケースで、手に取るどれもが古臭い映画ばかりだった。水の音がやみ、畳を踏む裸足の気配がある。「そこの映画、どれも中古で千円…見たいのあったらやるよ」そう言って畳についた手がまだ濡れていた。その手が持ってきた、同じく濡れた灰皿を見る。アイツがいなくなってからも、灰の土がこんもりと盛ったままだった。
「こびりついて取れねえ」
少し前にここで聞いた台詞だった。漏れた笑い。
「血は、取れねェもんだろ」
「あ?あー…この血糊?」
く、とそこで同じく笑う顔を見た。
「ほら、これだよ。ひでえだろ?」
前髪を掻きあげたその生え際に、何針か塗った痕があった。「あっかい血…」指でなぞる血痕を薄笑いで見つめるその眼には、たぶん自分の知らない過去の断片が散っている。なんだっていい。こびりついて取れない何かは、誰にでもある。
「おい、選んだ。これがいい」
ダン箱から掴み出した映画のタイトルに、向こうは黙った。間を置いて、恋愛映画だっけ?と言った。今見るか。と言うと、その目が揺れた。うちのテレビで一緒に見た。古い映像に、じっと字幕を追う。見ている間、ほとんど黙っていた。有名なあの歌の場面に差し掛かる。ヤツの、かすれた口笛とは違う。あれはもっと、ろくでもない。今ここにない存在が、自分達の空気にあった。字幕の訳詞に混じる"虹"の字に、ぼやけていく。
「……。デタラメに訳しやがって」
歌の終わり、ボソリ呟く声を聞いた。盗み見たその横顔を翳らす光に、滲んだ。
数日後の道ばたで、銀髪を見かけた。
目に入るものすべてが乾いていた。いつもの通り道に、ぽつんと置かれた公衆電話は、こんなところにこんなものあったか?という具合に初めて目に入ってきた。折れ戸式の扉は壊れているのか、閉じきらない隙間から中の声が漏れていた。その声の波長や、受話器を耳に押し当てて傾ぐ首が、随分と気安く、自然とアイツが浮かぶ。
「…るっせえェェ!!声でけーよお前、なんでって、いねーもんはいねーんだよ!!だァからなんもしてねーっつってんだろ!ヤローが勝手にいなくなっただけ…俺の知ったことか…はあっ?いや来んな、ぜってー来んな、ややこしくなっから、お前はそういう天才だから、ヅラだけにズレてんだよお前は……あ、」
一度の軽いノックで振り返る銀髪に、散らばる陽が眩しい。こちらを映して、よわまる眼はもう通行人へのそれじゃない、自分を知る光を多分に含んでいる。
「もう切んぞ、十円がもったいねえ…、あ、ほんとに切れた」
受話器を置いて出てきた顔に「…ヅラの知り合いがいんのか。お前、歳いくつだよ」と投げかければ「忘れた」と適当な事を云う、やっぱりどこまでいっても何も明かす気のない顔がふいに迫り、ちゅ、と押しつけてくる唇に固まった。
条件反射で殴る。道ばたに、殴打音が鈍く響く。
「い゛ってえな、何すんだ」
「そっちが何してんだ」
「お前が物欲しげな目で見てくっから?」
「見てねえ…」
電話ボックスの影になぜか囲われ、顔が近い。
チッ。そこで盛大に舌打ち、
「その無自覚さで、あれのことも誘ったんじゃねーの」
もう一発殴った。「っす゛ぐ手ェ出るよなお前!!」
「てめーらがおかしいのを俺のせいにしてんじゃねェ」
というのを最後までいわせずに、また塞がれた口がフガっと云った。こんなとこでやめろと動かす唇を食むように覆われ、「ん゛ーっん゛ーッ」通報されるレベルの声をあげても静まりかえっている道で、ぺちゃ、と唇をなぞってくる舌の立てる音だけに支配された。「いいから口ひらけ」顎を固定され、唇をこじ開けて入ってくる舌は、なまあったかい。「ッ、ンむ」ぼやける焦点に、相手の鼻筋を伝う汗の雫が見えた。ゆるく閉じたまぶたにまでそれは伝い、睫毛を濡らす。昼間の明るさの中、そこだけ影が落ち、吸われる舌から息まで根こそぎ奪ってくる天パを掴む。ふっと、向こうのまぶたも跳ねた。そのまま持ちあがる目に刺され、顎を掴む力が強まる。さらに傾く首で、上顎を擦る舌の角度も変わる。わざと水音を生む舌の動きで、味わうみたいに視姦してくる、薄っすら瞬く目の熱。
「ンぅ…べろっべろ、しつ、けぇ」
頭上をヘリが飛ぶ音で、やっと離れた。
唾液の糸も切れぬまま青い空を通過するそれをぼうっと見あげる。「事件かもな」「犯人はお前か」「また犯罪者呼ばわりか…なんの罪で?」「口臭罪」徐々に点になっていくヘリコプターを仰ぎながら、散々それを送りこまれ、巻き込まれた共犯の息で呟いた。
「昼、何食ったお前」
「餃子・半チャーセット」
犬の鳴き声で、目が覚めた。
ぐっしょり汗を掻いていた。傷んだ畳を息切れの中に見て、徐々に血を巡らせる。仰向けになった。肌を伝い落ちていく汗を感じる。まだ薄暗い。夜が明けきっていない。煙草の箱を持って起きあがった。開けっ放しの窓からの、ぬるい風を受ける。ふっと吹き抜けるそれには、まだ夏が残る。網戸越しの、青みがかったベランダの空気。裸足で出た。ちょうど真下、雑草だらけの空き地に放置されたホースのひび割れを見おろす。時々風が草を揺らす以外、何もない。何の鳴き声も聞こえない。夢か、と思い、部屋に戻りかけた瞬間ふいに蒸れた臭いが鼻にきた。その元を辿った目に、見慣れた生足が飛び込んだ。そこにひっつくように、ウサギが揺れていた。クレーンで取って、ウサ杉とか言っていた。その片耳をぎゅっと握る手も見えた。ぶらさがったピンクのそれは以前見たときより随分と、くたっていた。
「珍しく早ェな」
破れた壁の穴をくぐらず言った。
「犬が吠えてて、起きた」
返ってきた声は低くかすれて、聞き取りづらい。
「犬」口の中で反芻する。
「でも、いねェ。そもそも、ここペット禁止だった」
「野良かもな」
「それか夢か」
エレベーターの故障中の張り紙はまだ取れない。もう朝に半袖は寒くねえか。そもそも半袖しか持ってねえ。はあ?階段を下りながらの会話に振り返る。夏が終わったらどうすんだ。踊り場を曲がってくる男の、さあ?パーカーはあるからイケんだろと軽薄に笑う顔が、けだるく降りてくるのを待った。あんときは、と呟く口の動きを見あげる。
「夏しか頭になかった」
そうして自分を追い抜いて、団地を出る。夏しか頭になかった。そうして夏を生き延びた今、何を見ているのかわからないヤツの眼が、この瞬間、自分を振り返る。たしかに冷えんな、と腕をさするその顔が、ふいに色をなくして薄っすら口を開けた。
「この団地、存在してるよな?」
風が吹く。
地面から生えたような団地群の中に、二人、立っていた。
煽られた白と黒が、同じ石鹸の匂いを散らす。
「じゃあ俺は今、生きてるか?」
質問を質問で返す。どちらも酒臭かった。典型的な二日酔いの朝だった。その真顔は、数秒しか持たず、「頭痛え…」と、こめかみを同時におさえる。
「もう二度と酒は飲まねえ」
「やべえ頭割れる」
とめどなく生きた現実が襲ってきて死にそうな目で、「結局ビールフェラしてくんなかったし、お前」という文句でその場にしゃがみこむ。
「しつけえぞテメー」
「チンコで酔ってみたかった…」
地面にそそいでいた目がふいに横へ流れ、つられて動く視界が青に浸かる。
「お父さん?」
すっと持ちあがった男の差す指の先を、見た。
団地の敷地の外、フェンスの向こうに見えた白い犬は、空の青を背景にぽつんといた。乾いた砂利に手をつきつつ、ふらふら立ちあがってフェンスの方へ歩いていく男のあとについていく。遠くの青に浸かっていたら、足下の水溜りにも揃って浸かるはめになった。がさついた手の指をフェンスの網目に食い込ませ、ガシャガシャ揺さぶる。それに耳を立たせて反応する犬に、舌を鳴らして呼び寄せる。
「犬の鳴き声聞こえたのいつだっけ。先週?先々週?」
「昨日だろ」
素直に近づいてくる白いやつに、もっと警戒心をもて…同じ白いのだから仲間と思ってんのか?などと思考を巡らしていると、「お前だだ漏れだよ心の声」フェンスの前まできた犬の尻尾がぶんっと振られる。
「こいつがあの犬か調べよう」そう言って、手首を掴まれる。「?」ぐいと引かれ、そのまま生贄のように突き出すはめになった手に、ざらりと濡れたものが這った。網目に突っ込まれた犬の舌が、べろべろ手の塩をすくいとってくる。
「ビンゴだな。お前の味にご執心」
「なんだそれ」
「俺も、ご執心だから?」
空いてるほうの手は、白は白でも人間のほうの舌にすくわれた。うん、しょっぺえ、と犬に語りかける顔が「海の味」と呟く。金網に擦りつけて混じるふたつの白い毛を、青に浸かった視界にそよがせる。
「コイツ首輪したままじゃねェか。引きちぎったのか?」
毛並みに差し込んで怪我の有無を確かめていた手が、「お。何か付いてる…」と掻き分けた先。摘まんだ指に見えたそれはキーホルダーだった。横から覗きこむ。どこかで見た気がした。あ。そしてすぐに行き着く。それはよく、冷蔵庫を開く光の中にあった。注ぎ口に親指を突っ込む汚い開け方を見た。テーブルに出しっぱなしでぬるくなったそれも、直接口をつけて飲む喉の動きも、しょっちゅう見ていた。
「これ、お前がいつも飲んでるやつじゃねェか。いちご牛…、」
横を向くと同時、言葉はひっこんだ。
痕がつくほど、それを強く握りこむ手の、震え。
どのカタチにもおさまらない、どこからもはみだした顔が、そこにはあった。いつも、ぬかるみの底に沈んでいくだけのそれが、破滅的なまでに今、こぼれでている。
「……あの野郎」
次の瞬間、立ちあがって目の前の金網をのぼりはじめた体は、あっという間だった。重みで振動する金網の向こうに着地した男が、まっすぐ歩きだす。フェンスの網目に切り取られた後姿に、おい、と声をかけた。僅かに振り向く眼から、静かに打ち寄せる波を飲む。
「ちょっと行って、殴ってくる」
ちょっとじゃねえだろ、その顔は…
遠ざかっていく足音が、いつかに団地を使って鬼ごっこを繰り広げていたやつらの息になった。その背中が、徐々に点になっていく。道の果ては、ひたすら青い。
俯いた先で、犬の舌にすくわれる。
「お前、鳴かねェな…ワン、て言ってみ」
犬は、なかない。
舐めつくされてグチャグチャになった手を、ぬるく滴っていく。