2、熱帯魚
黄ばんだ水中を魚のヒレが泳ぐ。黄色い濁りに揺らめくそれの、通った後が泡になる。泳ぐ魚の目は、一瞬先の死を、常に持つ。魚は泳ぐ。人は生きる。濁った魚の眼から、果てる寸前の人間の目に画面は暗くフェードアウトしていく。
さっきから延々巻き戻す。そのたび窓の外のスピーカーがキインと鳴って土方の映画の時間の邪魔をする。一晩中、見続けた映画の最後、あと少しでエンドロールというところへ邪魔が入った。返却が今日までのそれを、末尾の台詞から進めない。苛つきながらチャプター画面に一旦戻して土方は遮光カーテンを引いてみる。窓を開けると同時、スピーカーの声は三倍ぐらいに膨らんで、がなり散らす言葉の響きも相まって鼓膜を殺しにかかる。早朝から聞く音の大きさじゃない。東を向くベランダは強烈に眩しい。つっかけには足を通さず裸足のまま出て手すりから下を覗けば、その演説人は団地の敷地内まで入っていた。そっちに気をとられ、隣との境目の穴を塞いだゴミ袋が擦れて音を立てたのも、そこを屈んで侵入してきた気配にも遅れをとった土方は、急に真横に立たれて心臓に悪い。露骨に舌打った。
「やっぱ今すぐ管理会社に連絡するか…」
スピーカーにも負けぬ声のトーンで呟いたそれは完全無視で、こちらの持つ灰皿に煙草を押しつけてきた高杉に、肺に溜めてた息を吐きかける。
「自分の使えよ」
「ダン箱から出してねえ」
やつらに避難壁を破られて、それから。あの後、話は一分で決まった。
――プライバシーは守りますんで、このままで耐えてくんねェ?
色々と省きすぎな、その申し出に土方はしぶしぶ頷いた。プライバシーや防犯よりも、今ゴタゴタ揉める事の方が面倒で、問題を先送りにした。やつらの、来週にも出ていきそうな軽薄さにつられた。過去も身元もわからない得体のしれないやつらから感じる真実味は、もはやそこにしかなかった。留まる気がない。どこにも、何にも。
破壊された隔て板は穴をあけたままで、普段はゴミ袋で塞いじゃいるが、こうして頻繁に行き来されるせいで既にガムテープは粘着性を失いつつある。なにがプライバシーを守るだ。まだベランダにしか侵入されていないが、そのうち普通に部屋にあがってきそうな我が物顔で今、こちらのベランダにいる高杉の、横顔の近さに土方はぼやけた。どこか、なぞりたくなる輪郭は、女が寄ってきそうな顔だと思う。
「もうひとりは」
「あ?」
指を耳に突っ込んでいたらしい高杉の目がこっちを向く。土方の問いを、おそらく音ではなく口の動きで読み取った高杉が、何かを言う。あるのは団地中に響く演説のスピーカー音で、そのキインとひび割れた音の中、近い高杉の唇が水中の魚のように動くのを見た。
「銀時」と「高杉」。
やつらは互いをそう呼び合う。郵便受けにも表札にも一向に名は入らず、特に名乗られもしなかった土方は、耳に入る、やつらの会話からそれら名前をすくいとった。一方は名だけで、一方は性だけ。名前でさえ全部は知らない。聞く気もない。漢字も脳内の変換でいくことにした。適当でもなんでも、覚えた名前は急速に存在を近くする。
朝の決まった時間、土方は高杉と喫煙時を共有するようになっていた。
どこからともなく口笛が聞こえてきたのが最初だ。
♪ふたりの流れ者が世界を探しに出かける…追うのは同じ虹の果て…。途切れがちに流れてくるその音に記憶の歌詞を重ねていたら朝が体に溶けだして、煙草を吸う息がとまった。よわい音色に、強く伝う。涙の手前のように、かすれた。壁が破れている、というのをそのとき意識から無くしていた土方は音の元を探して手すりから隣へと身を乗り出し、そこで口笛を途絶えさせた男の、「なんでソッチからだよ」と突っ込んでくる片目と合った。
お宅との壁を俺の頭で突き破るはめになったのは全部ヤローのせいだから、というのが銀時の言い分だった。責任を押しつけられた当の高杉はあの時、結局顔を見せなかったが翌日の朝、そうやって口笛と共に土方の日常に流れこんできて、日々の10分かそこらの、短い時間、何を話すでもなく、ぼうっと朝日に晒されている。土方にとっては、起床後の最初の一服だが、高杉にとってはどうやら就寝前の最後の一服らしかった。昼夜が逆転している互いの、唯一重なる約10分を、並んで立つ。目の前の朝がうまく、現実に結びつかない。
「お前ら、車は」
なんとなくの質問になぜか凶悪な目を返してきた高杉は物凄い間を置いて、チッねぇよと言った。舌打ちの意味。感情の沸点が謎すぎる。
「越してきた時、自分らで荷物運んでたよな?」
「ああ。台車」
「台車!?」
「嘘だ。レンタカー。乗り捨て」
なんだ覗き見か?と意味深に笑われ土方は自爆した。「あんな夜間に越してきた、てめーらが悪い…」ちょうど真下、雑草だらけの空き地に放置されたホースのひび割れが土方の喉を渇かせる。こないだから見かけないと思ったら隣のベランダに反射する灰皿が見えて、パクってんじゃねェと土方はそこに足を踏み入れた。からっぽの頭で踏み入ってコンクリ剥き出しに置かれたそれを拾おうと屈んだ時、初めてヤツらの部屋が目に入る。カーテンのひかれてない露骨なガラスに、明け透けな生活空間を見た土方の指先が、触れた灰皿の、その異常な熱さに引っ込む。拾われかけて放られたそれがひっくり返り、灰が飛び散った。拾おうとしても熱くて触れない。どんだけ太陽に焼かれてたんだ。と火傷しそうな指の腹を擦り合わせる土方の目に、ふわりと銀に輝く尾びれがそよぐ。水中のような朝の空気に魚の鱗みたく反射する、そんな窓辺の銀髪に、一息に吸い寄せられる。仰向けに寝転がる肌に、柔らかく滑り落ちていく光が、畳にこぼれていく。焼けた畳の上、パンツ一丁で、びっしょりの肌色が陽を吸って、色素の薄い産毛を透けさす。汚い寝顔だ。ぽっかり開いた口の空洞からタラリとヨダレ汁が垂れて、あそこだけ畳の色が光ってる。
窓を全開にした高杉が畳にあがる。そこに転がる銀時の股の間に片膝をついて角に置かれたダン箱へ手を伸ばした。バランス悪い体勢で中を探っていた高杉がそこから出してきたのは灰皿だった。手のひらに乗っけたそれを「使え」と差し出され、見おろす。
「この、赤いのは」
「こびりついちまって取れねェ」
薄っすら笑いすら浮かべ、そこに灰を落とす高杉の睫毛が俯く。燻ぶる先端から降る灰がガラスを汚していく。ガラスのふちはべっとりと赤く染まっていた。こびりついて取れないというそれは朝陽に煌き、血痕にしか見えない。あえて何もつっこまず、そこに土方も自分の灰を降らしはじめたところで、畳の銀髪がもぞりと蠢いた。はりつく睫毛を剥がして、死んだ目をもちあげる。起きたての濁る視界を、窓のガラスに眩し気に絞り、痺れた腕に血を巡らすためグーパーさせた。そこからなんとなく無意味に目の前の窓を動かしてボンヤリ朝陽を感じた。腹の傷がまだ疼く。その疼きをごまかして行ったり来たりさせていた窓を勢いつけて奥まで滑らしたその瞬間「い゛っ」鈍くあがった声に、銀時の「え」がかぶさった。聞き慣れない声に一気に覚醒する頭と、なんらかの障害物にぶつかってそれ以上いけないガラスが、ピンぼけだった銀時の視界を現実にしていく。
「……えーと、どちら様?」
高杉はなぜか股の間にいるから、これは高杉ではない。
混乱した頭で銀時はそこだけはっきりと理解して、障害物の正体…窓フレームの間に挟まれている男の鬼のオーラで吐かれた煙の息を、風に見た。けむっ…。「お隣様だ」と代わりに答えた高杉がさらに便乗して、倍増しの煙たさの中、男の着てるTシャツが気になった。"You, talkin'me?" かすれた横文字とロバート・デ・ニーロ…、よくお似合いで、と思いながら銀時は畳をずった。「おい、お隣様、瞳孔が開いてるんですけど」
「へえ。俺のいぬ間にコソコソ交流を深めてたってか」
「いぬ間じゃねえ。寝てる間」
「寝てる横で乳繰り合ってたと」
「おいコイツ脳味噌、沸いてんのか?」
「土方くんだっけ。今、出してやった茶を吐かせてやろうか?」
「その前に、てめえはなんか穿けよ」
今朝のアレは、振り返るとくだらない。窓に挟まれた腰には青痣ができて結局、謝罪さえない。バスから降りた空に、土方は焼かれる。手に握る煙草のフィルムが、陽の色だった。それを破りながら歩きだす。ATMで見た残高で、あと半年はあたまからっぽでいられると思い、今は空を流れていく刹那の雲がただ遠い。いつまで経っても、よそ者で、馴染まない気がする道の、ずっと先の方まで目を飛ばす。埋立地にポツポツ建つ遠くの団地は壁のようだった。高架沿いを歩く。人ひとり見当たらない。コンテナ車だらけの通りが、目を流れ去る。あとは風ぐらいしかない。ここらで唯一の娯楽・パチンコ屋を通過して、タイムズの看板も過ぎる。住宅と住宅の間を行く影が濃い。風もなくなった。ふと思いだして、こないだの犬のいる家に立ち寄ったら先客がいる。白い犬と、白い男。青空を背景にしていると雲と大差ない。犬がこっちを見て、ふっと振られた尻尾に男も振り返る。あ。と言った。すぐに視線を犬へと戻され、今朝のむかっ腹がこみあげかけたが、フェンスの網目に食い込む男の手に、なにか違和感を覚えて霧散した。近づくと汗の匂いがした。
「お父さん?」
銀時が犬を指して言う。最初、自分もそう思ったのを棚に置いて、
「白いってだけでそう言ってんなら、お前もお父さんだぞ」
これはたぶん紀州犬…と言い直して黙った。出会って間もない人間に気安いを通り越して売り言葉のような言葉が口をついて出る。考えて物を言うことが出来ない。思考を通るのを忘れて口が先走ってしまう。暑さのせいか?いやコイツのせいだと土方は思った。銀時のこの目が、うわっつらの言葉を奪う。その濁り具合、からっぽの光に、魚の目がよぎる。ほぐす瞬間に合う、死んだ目を。フェンスの網目から出た犬の舌にべろべろ舐められた手を、ひっこめた。唾液まみれになったそこを、銀時の目が見ている。
歩き出す。遠ざかる犬が一度だけ吠えた。さっきから横目にちらつく作業着が、気になった。ダボシャツに膝まで膨らんだニッカポッカで、アスファルトを踏んでいるのは安全靴だった。お前、ドカタやってんのか。遠くを彷徨っていた目が、土方に戻ってくる。一瞬これは夢かと土方は思う。確かなものが、何もない。
「ドカタはそっちだろ」
「あ?」
「ヒジカタ、ドカタ」
「しょうもねえ」
なんだか道が波打っている気がする。海を泳ぐ時、息継ぎの狭間に行く先を確かめる。果ての見えない、あの感覚が蘇る。一呼吸置いて、「日雇い」と短く寄越す声に、横を見た。遠くから近くへ絞るピントが、あるはずのない海水に、ぼやける。
いつのまにか足並みがズレはじめ、声も離れる。すぼんでいく声に、振り返ると、銀時が道の真ん中で歩くのをやめていた。おい、と声を投げても、返ってくる声がない。やつの手に握られたヘルメットの反射が熱い。俯いた顎からポタ、と地面に落ちる雫を見る。なにかおかしい。そこまで戻って顔を覗きこんで気づく。汗の量が異常だった。ぬぐっても意味がなさそうな汗の粒がびっちりと浮くひたいに、土方は覚えがあった。
これは、痛みを殺す人間の。
「どこだ」
「…何、」
「いいから見せろ」
有無を言わせずシャツに手をかければ急に虚ろから我に返ったかのように、ぎゃあっ変態!!と素っ頓狂な声を出す。閑静な住宅街の道端で出していい声じゃない。てめえ変な声出すんじゃねえと言いながら、隙をついてベルトを緩め、ひっぱりだしたダボシャツをめくりあげて見えた脇腹に走る傷痕に息を呑んだ。越してきた日にチラついていた包帯を思いだす。ひでえな。表皮だけ削られている。そこだけ色が、月のようだった。黒ずんだ部分は、スタンガンか?と伸びかけた手を、掴まれる。
「…腹、鳴ってる?」
「は?」と答えると同時、鈍い地響きがした。
「雷?」
反射的に仰いだ空の青さに、ウッと漏らす。雲がない。まだ遠い。走れるか?と聞こうとして、急に肩にのしかかった重み。シャツをかき集めるように掴まれた。手の熱を、感じる。銀時の息が耳にかかる。こちらの鼻息で、ふわっとそよぐ銀髪が一瞬、土方の視界から他の一切を消した。息を忘れる。水中でもないのに。
「悪い、肩かして」
銀時の痛みが自分の肩のシャツに掻き集められている。汗で濡れた腕の感触に、あの夏がこみあげた。酸っぱい汗の匂いが、しょっぱい海の波際を、つれてくる。あの夏?どの夏だ。自分は今、どこにいる。この夏はどこなのか。近い息。知り合って間もない。繰り返す日々に、入りこんできた。どこか異質なやつらの存在感は日に日に増して、なりゆきから今、こんなことになっている。果ての空へ、目を飛ばす。
銀時の肩越しに、膨らんでいく積乱雲を見た。
顔面にしぶいてくる幾筋もの線が、こないだの夕立のぬるさだった。シャワーヘッドを掴み損ねる。落下したそれが足下で蛇のごとく、のたうちまわる。
風呂あがりの雫が、ベランダの手すりに落ちた。風もない。ねっとりとした夜に、肌を舐められる感じがする。ちらりと隣を見た。破れた壁の穴の向こうが暗い。不在だとわかる。いるときは、かすかに光が漏れてくる。千円札と煙草をポケットに突っ込んで外に出た。閉まるドアの隙間から見える部屋に、透ける何かがはためいた気がして、それは土方を振り返らせる。そこにはカーテンしかない。
誰もいない。
隣のドアの前に、出前の容器が置かれているのを見て、腹の虫が鳴った。と同時『…腹、鳴ってる?』と聞いてきた銀時が脳裏に浮かんだ。ボンヤリしすぎていた土方は、こないだ窓に挟まれたのと同じ腰を、エレベーターに挟まれた。
目的地の弁当屋に着く。中に入ると、先客がいた。丸椅子に深く沈みこんだそいつらは互いに凭れかかって、崩れそうだった。それを横目に手元のメニューからざっと適当に「カキフライを」。少しお時間いただきますが、よろしいですか。
頭上の時計、21時半、カウンター上ではレジ袋が口を開いている。その横に、ひとつだけ出来上がったパックがあった。マーボー茄子。奥のほうから雨音がする。揚げている音。まぶした粉を落とすビニール手袋が見えた。牡蠣はまだ油に投入されていない。くずおれそうな丸椅子の二人組の、擦れて混じり合う髪に目がいく。夜のガラス。弁当屋の光の中、凭れて擦れ合う髪の筋が柔らかい。その摩擦が、土方の目をふいに、よわくする。
閉店間際に揚げ物を頼んでしまった後ろ暗さで表に出た。そこにも丸椅子はある。浅く沈んで、煙草に火をつける。ねっとりとした風。外にまで漏れだす揚げ物の匂い。着てるシャツが夜にまぎれ、体の輪郭線をなくす。背後で扉がスライドされる気配を感じて首だけで振りかえる。高杉だった。夜風に流れるその髪は、さっきまで白いのと混じっていた。
「起きたのか」
「あァ」
丸椅子をひきずって少し離れた所で煙草につく火種を横目に見る。弁当屋の中では支えをなくして完全に横倒れした男の体が、呼吸にあわせて上下していた。顔にかかる銀髪、椅子から飛び出してる腕、ずりあがったボーリングシャツから覗く脇腹の傷。
アレ、いいのか。
いい。重い。と呟いた高杉の目が何を見て、そんなに痛そうにするのかと不思議だった。目線を辿った先には外灯しかない。月は住宅に隠れて見えないが、その白い光はどこか月っぽかった。風呂上りか、と高杉が聞いてきた。石鹸くせえ。
マーボー茄子と厚切りロースかつとじのお客様〜の声に立ちあがった高杉が、踏み潰していった吸殻の燃えカスを見下ろす。そこから後ろのガラスに目をズラすと、起き上がるのを渋っている銀時の尻ポケットから財布だけ抜きとって、会計を済ました高杉がひとりで出てくる。いや置いてくなよアレ…という土方に、少し先の電柱で振り向いた高杉が、お持ち帰りしてくれていいぜ。と言った。「いらねえ…」
揺さぶりまくってやっと目をあけた銀時の第一声も同じく、石鹸くせえ、だった。カキフライ弁当を入れたレジ袋と、銀時をひきずるように持って外に出たらククという高杉の笑い声がした。てめえ、いるんじゃねえか。バカらしくなって銀時を離す。二度目の支えをなくしたその体がガクっと地面に崩れ落ちる。それでハッキリ覚醒したらしい銀時の、いっでえ…、の声が響いたとき、弁当屋の光がふっと消えた。さらに濃くなる闇。中から出てきた店員の顔は、髪をおろして私服だった。こちらの存在に気付いた目が、あ、おおきにね、と言う。シャッターが降ろされる。その音に、立っている地面が響く。駅の方角に去っていくその影を見送っていると、ようやく地面から銀時が立ちあがってきた。血でた…と言い、擦り剥けた手のひらからパラパラ降り落とす小石に、風が流れる。
「冷める前に食おうぜ」
戻ってきた団地。銀時の重みで軋むブランコに、つられて立ちどまる。ちゃっかり高杉もその横のブランコに沈んでいた。宇宙一ブランコが似合わないふたりだと思った。レジ袋がかさついた音で空気を擦り、それぞれの重みでギイと鳴る揺れ。
「お前らはいつから、ふたりなんだ」
土方から微かに漏れた呟きに、やつらの顔が揃って持ちあがる。やつらの、すくってもすくっても濁りそうな目の奥が、土方を映して、暗く灯る。突っ立ってねえでビールでも買ってこい。言われて、そこの自販機の前まで行く。激安やで!オール50円。の文句に「ドリンクバーかよ」独り突っ込む。さすがに五十円でビールはなく、烏龍茶の缶を三本買って戻ると、もうガツガツ食っていた。口の端にご飯粒をつけた銀時が受け取った缶のプルタブを開け、鳴りもしないプシュッ音を自分の口で発した。ってビールじゃねえじゃん。
「ところでそろそろ、そのTシャツ映画シリーズ突っ込むべき?」
土方のTシャツに這わせた目を眇めて、言う。
なんだっけコーエン兄弟の…。「ビッグ・リボウスキ」。そうソレ、と銀時は齧りかけのカツを割り箸の間に挟んだまま口につけた缶を傾ける。その銀時の着てるボウリングシャツに刺繍されたビールジョッキに土方は目を這わす。センスかぶってんじゃねえか。と真ん中のブランコの高杉が呟いて、いやどこがだよ!と両側から唾を飛ばす銀時土方のシャツがぬるい風にはためく。一拍置いて返ってきた高杉の、
「どっちもボーリングだろ」
にアア…と唸った。この映画は観るとボウリングがしたくなる。実際リバイバル上映でこの映画を観た足で仲間とボウリング場に行った。そんな高校時代がふいに青い情景で駆け抜け、頭ん中でピンが音立てて弾ける。そのとき目の前のブランコがギイと揺れ、そこに乗るやつらの着てるシャツがはためき、過去から今は一瞬だった。揺れるブランコの上、銀時のもつ缶から何滴か跳ねてこぼれ、パタパタッと足元の土が濡れた。それを高杉越しに見る。銀時の手前でぼやける高杉の、咀嚼音が、烏龍茶を飲み下す濁音が、静かに強い。尻ポケットにいつも常備している携帯用マヨネーズの封をピっと切ってカキフライ・キャベツ・白米と全体に垂らす。それは何事だ…?と横から来る声にマヨまみれの口で首を傾げる土方と、どんびきの銀時高杉の顔に、砂場の砂が舞い上がった。熱帯夜に、三人の男が横一列でブランコに揺られ、黙々と安い弁当を突っつく。五十円の烏龍茶をゴクゴク飲む。最後の一滴が喉に落ちて、缶を横にのけて見えた夜空には、団地が見える。