地に足がつけない生活を送りはじめてからろくに外に出る気も起きず引き篭もっていたのだが、そろそろ冷蔵庫の中身がスカスカになってきた。着替えるのも一苦労で、ギプスをズボンのすそに通すだけで異常なほど汗をかく今の状態ではものの数メートル先のスーパーでさえ遠かった。玄関に向かおうとして手元から滑り落ちた鍵を拾おうと無理な体勢で屈んでいるところへ電話のベルが鳴り、へいへいと手を伸ばそうとしてうっかり地に足をつけてしまった七日ぶりの感触は、激痛だった。脚とともに折れた心にやってきた仕事の依頼をメモにとり、書き殴った住所を陽の光に透かしながら、ふいに住みはじめて間もないこの場所のぬくさに気づいてグシャリ、紙を鳴らす。徐々に塞がってきた体中の傷口が、そのぬくさに撫でられて、かさぶたを陽にさらしても痛くなくなってきた中で、残る痛みはこの足だけになった。玄関で靴を履こうとしてふと鼻先を近づけたなら、ギプスが臭すぎて意識が遠のきかけたがすぐにそれはどこかの家から漂ってくる焼き魚の匂いに変わり、時の流れで急激に移り変わった町並みを行く松葉杖が浮いた音をそこに立てる。地べたを這いずりまわっていたときよりも楽じゃない一歩分の汗がひたいから噴きこぼれ、人波を避けるように何度もずるりと松葉杖から崩折れそうになっているうちに突然、カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンという警報が耳朶を打ち鳴らした。は、ともちあげた目に、赤が点滅し、前に突き出していた松葉杖をぐっととめる。やがてゆっくりと降りてきた遮断機が小刻みにゆれるのに瞬いて、さんざん歩きまわった果てのここはどこだ、と懐のメモを取りだしかけたのと同時、光で過ぎる線が一気に目の前を駆け抜けて、薄い紙切れが指先からあっというまに飛ばされていった。その刹那、何もとらえられない早さで過ぎていく窓に、アイツの顔を見た気がして見開いた目は、それが去ってしまえば、また虚ろに戻る。殺意をおぼえる幻覚だった。遮断機があがって再び動きだした時間に逆らうことなく、前へと進みはじめたギプスを映しだす視界にぽたぽた汗がふる。浮かしたギプスがブレる中、ふいに歩みをとめて松葉杖を横にずらせば、いくつもの線路がここで入り組んでいるのが見えた。ここで一度交わって、そうしてまたそれぞれの道へと分かれていくその線が、ぎらぎらと陽を反射するのを見おろしていると再び、けたたましい警報が耳朶を打ち鳴らして目を虚ろに彷徨わす。
「どこだ、ここ」カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカ
松葉杖⇒松葉⇒松陽
2016.09.09/踏切