1:飛込台の際に立って、海を覗き込んでいる。それは確かに海だったが、色がなかった。それをひたすらに見下ろして時は過ぎていった。何日も過ぎていった。飛び込もうと足を踏み出すのに、気付けばまだ立っている。一ミリも動いていないことに気付き茫然自失。透明の海は眺めれば眺めるほどに深かった。あるときは黒になり、あるときは青になり、あるときは燃えるような赤になった。自分次第で色は変えられた。踵を擦るように滑らす。身体中から汗が吹き出、胸板を流れゆく感触。ふいに自分の名を呼ぶ者があった。そして飛び込んだ。透明の海へと吸い寄せられるようにして両の指先を伸ばした。張り詰めるまで伸ばした。暫く落ち続けている。海が近付く。まだ落ちている。肺が膨らむ。落ちている。落ちていく落ちている。どうかどうか。ドウカドウカ。涙が浮かびあがり燃える肉体。炎。揺れる。兄。弟。サボ。ルフィ。眼前に海。黒になり赤になり果てに青になった。最後にばしゃあんという音が聞こえて、それきりだった。(エース)
2:肌が焼けゆく感覚と耳が浸かる際のたぷたぷとした響きと喉の渇き。
呼吸が唇から漏れ右を向くことも左を向くことも叶わず目玉だけをぎょろぎょろと動かす。
今もなお自分を中心に拡がってゆく海はあらゆるものを生みあらゆる死を溶かし脈動している。海面に仰向けに浮かびあがったまま動かせるのは指先と眼球のみで泳ぐことも出来ず、
途方に暮れていると突然雨が降り出し空は見る見るうちに雲に覆われた。
カーテンのような雨に打たれ続けているうちに水嵩が増え顎にまで海水が到達し
あっとういうまに海中に引きずり込まれる。雷鳴がきこえた。身体を撃ち抜かれたと思った。
皮膚の内側にまで稲妻が走り海底に沈みゆくなか沢山の骨を見た。死が底にあった。
雷鳴がきこえる。光ることをやめてはいけない。燃えて骨になるまで。(ルフィ)
3:気付けば、海のうえを走る列車に乗っている。
轟轟という風。線路を滑る車輪の軋み。音ばかりが過ぎていった。
車窓から見えるパノラマは海ばかりなので、海ばかりを見ていた。
陸も空もなく、海ばかりだった。ブルーだ。眼が青くなる。脳も青くなる。
過ぎていく海のパノラマ。眼球を過去にずらし、未来にずらし、また元に戻した。
どれも同じなので、現在の位置が掴めない。立ち上がってみた。列車が速度を増す。
車窓を割った。ガラスで指が切れた。血が溢れ出す。青のパノラマに、血の赤が鋏を入れる。
指の先がぼうっと燃えあがった。血が燃えあがった。はっとして、顔をあげると海を泳ぐ誰か。あれはバタフライだ。静かの海に、白い泡が生まれ、そしてバタフライは海の一部となった。ふいに振り向いてみる。列車の座席に麦わら帽子があった。今すぐ、戻らねばならない。(ルフィ)
4:如雨露を持って船のうえを歩いているのだが、水をいれすぎてしまったせいか、今にも溢れてきそうで花壇のところへ辿り着くまでに相当の時間をかけなければならなかった。慎重に一歩ずつ身体をずらすようにして歩を進める。そのたびに水滴がこぼれ落ち甲板に水玉をつくる。頭上では太陽がぎらぎらと照りつけているので汗が頻りに身体の内側から浮かびあがり、それをとても拭き取りたいと思っているのに手元の如雨露が気になって、手を離すこともできない。汗で滑った手が今にも如雨露を落としそうになる。気付くともうすでに半分もの水が減っているのだった。どうしようと思って覗き込むと、なんと如雨露には管の先だけでなく至る部分に無数の穴があいていた。
どうりでこんなにも溢れてくるのね。困ってしまった。
なんとか花壇の前まで来て、もう随分減ってしまった残りの水すべてを土にそそぎいれる。
じょろじょろと土は水で濡れ、花の茎がしなり、吸い取られた水分が鉢受け皿に流れ落ちていく。安堵したと同時、みるみるうちに茎が伸びて、ぐんぐんと伸びて船から飛び出てしまい空の彼方まで。それをずっと見あげていた。何処までも伸びていくのだった。そして、名を呼ばれる。おーいロビン。太陽の近く、そのあたりまで伸びた茎から飛び出た葉っぱのうえに、ルフィが立っている。太陽が眩しくて、ルフィの姿が霞んで見えた。さっきまで此処にいたのに。少し笑ってしまった。(ロビン)
5: 傷だらけの身体をひきずって船へ帰る。五メートルほど先で麦わら帽子が揺れていたので、なんとなく呼びとめたくなって立ちどまるが、くちびるからこぼれだしたのは泥の塊だった。「んぐ」 ぼとぼと。「どうしたゾロ」 ぼとぼと。塞いでも防ぎきれない泥のことばが決壊するように。溢れて落ちる。そうしてルフィのゆびさきに舌の泥をすくいとられ、ようやく思いだしたこと。泥の手で麦わらのつばをめくりあげたら二年越しの眼差しとかち合う。そうだルフィ、お前に伝えたかったことがあった。(ゾロ)
6:電球が切れた。鍋の中身が沸騰するのを座って待っていたら、妙に部屋が暗いと思った。照明具を見たら、中で何かがぐるぐると回転していた。つぎの瞬間、 ぱちんと何かが弾けて、くらやみに沈んだ。電球の替えがなかったので、その夜は蝋燭で食事をとる。じわじわと火は燃え続け、蝋は溶けていった。蝋燭 の炎に包まれ、各々、料理を平らげていく。 蝋燭の向こう側にいるルフィの顔が揺らめいている。 炎は遠近感をなくす。ルフィは向こう側にいるのにこちら側にいるような気がするし、逆にこちら側にいる筈のゾロの横顔が妙に遠い。 みっつのピアスが炎に合わせて揺れていて、ごくりと洋酒を呑みこんだ。
数日後、新しい電球に取り替えた。ハシゴのうえで、ゾロがきゅるきゅると回す。かち、という音がしてぱっと灯る。闇に慣れはじめていた眼には眩しく、開けていられず。 切れたときに一瞬見た放電を思い出す。ぱちぱちと空気を裂いて消えたあれ。 昔、似たようなのを海の底で見た。それに触れようとしたら、ものすごい力で、ひっぱられ、また苦しいだけの海のほうへ引き戻された。「ついたぞ」、ハシゴのうえから、ゾロがそう云った。(サンジ)