吸い方がよくわからなかったので、ベルメールがいつもやるように肺まで吸い込んだら激しく咽てしまった。視界が滲み、肺の中に煙が充満していく間、咳は一向に止まない。その口の中に広がる苦味に眩暈を起こす。口直しに何か飲もうと立ち上がったところで、ベルメールが大きな籠を手に帰ってきた。片足で扉を支えながら、収穫した蜜柑の沢山詰まった籠を持ち直している。ただいまあ。ベルメールがこちらを見て、ん、と眉間に皺を寄せる。まだ煙を燻らせるものが少女の人差指と中指の間にあった。……ちょっと吸ってみたかったんだもん。そう述べた少女に、歪めていた目元を緩めたベルメールはにやりと笑った。バカだね、マズかったでしょ?すんごおおおいマズかった! さらにベルメールは快活に笑って、少女の手から煙草を取り上げるとそのまま自分の口に銜えた。もう吸っちゃだめよ。口元から煙を吐かせたベルメールは、さてディナーの準備!とキッチンに足を向ける。ベルメールの指に挟まれた煙草の先端が赤く燻っているのを少女はぼんやり見つめた。煙が少女のもとに流れてきた、その匂いにまた咳き込む。そうだ口直し、と少女は籠の中の蜜柑をひとつ手に取って、皮をゆっくり剥いた。蜜柑を割って、ひとつ口の中に放り込む。煙草の苦味と少し酸っぱい蜜柑の味が混ざったところで、ああこれは夢だとナミは気付いた。

 目を覚ましたナミは無意識に時計を見た。まだ夜明けは遠い時刻である。闇のなかで目を凝らしていると、隣のベッドが静かに上下するのが見えた。ナミは薄く微笑んで、もう一度自身もベッドに潜り込む。足の指先が冷えていたので何度も擦り合わせつつ目を閉じた。また夢を見そうな気がして、心がざわつく。ふと海上を風が吹き荒ぶ音に、ナミは気付いた。そして船の揺れる、ゆったりとした動き。ナミは起き上がった。ベッドから出て足を床にぺたりとつける、ひんやりとした感触。
 無性に、夜の海が見たいと思った。
 ロビンが起きないように、そっと扉を開ける。ぎいと音が鳴り肩が震える。外に出た途端、冷たい風がナミの頬を打って思わず身震いした。羽織ったカーディガンの袖に手を埋めて、階段を降りかけたところで黒いシルエットに気付いた。闇よりもその黒い陰は、サンジである。
 寝れない?
 サンジくんこそ。
 何か飲む?
 ううん、いい。
 夜の海はひたすらに黒くて見えない。それでも確かに其処に存在しているのが身体中でわかるものだから恐ろしい。ナミは鼻から吸い込んだ潮の香りと、耳に流れてくる海風の音に安堵した。そこにふわりと別の匂いが加わったものだから既視感に襲われる。サンジが煙草を吸っている。彼の指先で燃え燻る赤が視界に入り、先程見た夢が思い返された。
 サンジくん。
 はい?
 煙草を一本くれる?
 ナミの言葉にサンジは瞬間驚いて、そしてじいとナミの目を見つめた。しかしすぐに胸ポケットから煙草のパッケージを取り出してナミに掲げると、どうぞと微笑んだ。ありがと。口に銜えた途端、上唇と下唇の隙間に懐かしさが込み上げたような気になった。マッチで火をつけてもらい、吸い込んで煙が肺に満ちても、決して咽ることはなかった。吐き出して、一度だけわざと咳をしてみる。喉の引っ掛かりも息苦しさも感じられることはなかった。ふっとナミは笑う。マズイ。そう呟いた途端、込み上げてきた何かがある。隣にいるサンジも煙を吐いて、呟く。クソまずいですよね。ナミは苦笑した。じゃあ、なんで吸ってるのよ。さあ、とサンジがとぼけて目を細めている。ナミは再び夜の海に意識を向けて、口の中に広がる苦味を弄んだ。夢の中と同じように忘れてゆく味だった。
 クソまずいな
 再度サンジが呟き、煙をその口から吐き出している。
「もう二度と吸わない」
 吐き出した煙と同時に呟いたナミの視界はぼやけた。肺に広がる苦い痛みをこの煙の所為にしてしまおうと、ナミは煙草をごまかすように揉み消してしまった。
 じゅ、という消された音がやけに寂しいとサンジはおもっている。

2009.12.08/煙草