春
視界には夜が迫っていた。波が船べりをひたひたと叩いている。湿気混じりの風がルフィの前髪を浮かせ、顕になった額を撫ぜていく。ルフィの呼吸は乱れることなく夜の海にあった。闇の中ダイニングから漏れ出る光によって麦わら帽子に幾筋もの影が揺らめいている。手元のマグカップを引き寄せ空になった底を覗く。そのとき夜空を何かが遮った気配がして発作的に見上げると、幾つかの星が流れ落ちた後だった。ルフィはその星の終わりを見た。太く長い息を吐き出して後ろに手をつく。手のひらを透して船の揺らぐのに意識を落とす。風が次第にその力を増していくようだった。巻き上がる前髪の隙間から再び星が落ちていくのを見る。
ルフィは麦わら帽子を被ろうとして、ふわりと何かが視界の端に散っていくのに気付いた。ダイニングの扉が開き、クルー達の顔が覗く。彼らもまたその風の強さに瞼を瞬かせている。しゃがみこんだルフィの背に室内から滲み出る光が幾筋も差した。おおいルフィ風邪ひくぞ。おお今行く、とルフィは返しながら拾い上げたものをそっと見つめた。ルフィの指先で風に吹かれて靡くは花弁である。親指と中指で挟んだそれは柔らかく息吹いている。そうして春は彼の指先からあらわれたのだ。
夏
ナミの項を太陽がじりじりと焼く。左手で無意識に撫でていたグラスから冷たさを感じられなくなったので見ると浮かんでいたはずのアイスが沈んでしまっている。差しているストローからそれを吸い込むとバニラとコーラの交じり合ったものが温くナミの喉を通っていった。溶けてしまったバニラフロートを呆然と眺める。その隣ではロビンが本の頁を捲りながらストローでそれを吸い込んでいる。虫が這い動いているかのように背に汗が伝うのを感じた。
なにやら騒がしくなったので視線をあげると、サンジが大きな氷の固まりを抱えてキッチンから出てきたところであった。そしてアイスピックでそれを削り取っていく。落ちた氷の欠片をチョッパーが掬って口に入れた。つめてええ、と目を輝かせるチョッパーの背後からルフィが顔を出し、氷を大量に掴みとる。同じようにそれを口に含み頬を膨らませたまま、ルフィが此方に駆け寄ってくる。おまえらも食え!つめてえぞ、とルフィは手中の氷をナミの唇に押し当てた。思わずナミが口を開くと氷が口内に滑り込んでくる。その冷たさに首が竦んだ。ロビンにもそうして押し付けた後、ルフィは白い歯をみせて笑った。あっちいなあ。氷を噛み砕いているルフィのこめかみを汗が伝っていく。氷はみるみるうちに削り取られ、其処に太陽が燦燦と降りそそいでいる。その背後ではむくむくと積乱雲が湧きあがっていた。
秋
親指の爪でその腹に筋をいれた。指で挟むとぱきんと割れる。中から覗いた黄色い栗をサンジは取り出す。噛むと甘味が溢れ出した。ふと目線をあげると剥かれた皮が其処ら中に散らばっている。そのなかでフランキーは栗を皮ごと口に放り込んでいた。呆れてサンジはそれを横目で見やった。
その皮を剥くのに四苦八苦していたゾロがつぶやく。めんどくせえ。そして数個の栗をサンジの方へと転がす。暫しの沈黙を経て、サンジはゾロに目を向けた。まさかおれに剥けと? ああ、と差し出してくるのを見て、ふざけんなクソマリモ、と言いかけたとき違う方からも栗が転がってくる。サンジおれのも!ゾロと同じく懸命に剥いていたルフィが無邪気に言う。サンジは額を押さえて項垂れた。
ひとつずつ丁寧に剥いていった栗をルフィとゾロが交互に掴んでいく。あっ、てめっそれはおれのだっつたろうが! あ? ゾロが頬を栗で満たしたままサンジを見る。二人が口論を始めかけたとき、ふと甲板の方からヴァイオリンを奏でる音が流れてきた。ルフィは食すのをやめ、口に溜め込んだ栗を周囲に飛び散らしながら言う。ブルックがなんか唄ってる!そして足早に外へと出て行った。汚ねえな、とサンジは開かれた扉の方を見つつ手元に転がる栗をひとつ口に放り込んだ。甘くまろやかなそれを味わいながらゾロとフランキーの方にも転がしてやる。甲板から聞こえるブルックの唄声にウソップやチョッパー、そしてルフィの声も交わった。これは確か秋を唄ったものである。サンジは頬杖をつき、その唄声に耳を傾けた。
冬
雪だるまに置いたウソップの手は赤みを帯びている。ルフィから繰り出される雪の固まりを上手く躱し、ウソップも素早く投げ返す。そのとき足を滑らせ前のめりになったかと思うとウソップの身体が斜めに傾き、そのまま雪中に突っ込んだ。そうっとルフィがそれに近付き仰向けに寝転がったままのウソップに小さな雪の固まりを落とした。それはウソップの頬に落ち、弾けて割れた。おれの勝ちだ!にししとルフィが笑う。頬にかかった雪を払い落としてウソップは唇を尖らせた。
ココアの入る二人分のマグカップを持ってウソップは甲板に座るルフィのもとに戻った。そのひとつをルフィに手渡すとき、サンジがいれてくれたココアの香りが鼻先を漂う。ルフィは一口啜ろうとして、その熱さに肩を震わせている。ふうふうと息を吹きかけるたびココアから立ち昇る湯気が揺れた。おれ、雪すきだ。首を反らしたルフィの口から白い息が浮かびあがる。鼻の頭を赤く染めていた。ルフィとウソップの隙間を雪が埋めていく。時の進むのが雪の落ちゆく速度に合わしているかのようだった。ルフィの黒髪に付着した雪片にウソップは触れた。指先が濡れる。ルフィの髪はとてつもなく冷たかった。雪やまねえな。うん、とルフィは頭上を見上げる。その瞼に雪が降ってくる。でも、きっとやむんだ。きっとまた冬が終わる。そのときウソップは一片の雪がルフィの瞳に映るのを見た。ルフィの見ている冬を知ってしまったような気がした。
The cycle of the seasons : ハローグッバイまた会う日まで!
2010.11.13/其れが死んだとして