海辺でぼうぼうと燃えているのを囲んで一頻り騒いだ後、クルーたちは砂浜に座り込み、海と炎を見ていた。夕頃から始められたキャンプファイアは未だに燃え続け、炎をくねらせながら灰色の煙を上へ上へとのぼらせている。クルーたちはラム酒を飲み、平らげた肉を骨になったやつから次々と火に投じていった。積まれた骨が炎の中に崩れていくのを、ウソップは見ていた。その炎の向こう側にある海はやけに静寂で、じわりじわりと夜を滲ませていた。昼間のひどい海鳴りを思い返す。船の揺れがおさまるまで、ウソップは内心震えていた。しかし、この無人島に船を寄せてから海は鳴くのをぴたりとやめてしまった。発狂しそうなほどの酷い鳴き方であったのに、今はひたすらに凪いでいる。
ウソップの隣で、ルフィが枝をぽきりと折った。その折った枝を炎に投じると、ぼうっと僅かに膨らむ。ラム酒を一口啜り、舌が熱をもつのを感じた。ルフィが掻き集めた砂山のうえに手を置くと、じんわりと熱かった。眠くなってきた、とルフィが言う。大きな欠伸をひとつこぼし、膝に顔を埋める。おれも、とウソップは返す。ただ眼球は、燃え盛る炎に吸い寄せられたままだった。炎を見ているようで、海を見ていた。脳にじわじわと酔いが浸透していくのがわかった。まぶたが重く、炎との距離が近付いたり遠ざかったりする。ぱち、ぱち、と爆ぜる音が鼓膜を覆う。ルフィの気配を強く感じた。
船べりからキャンプファイアの燃え滓を見おろす。煤けた灰が砂浜に混じり、押し寄せた波がそれをどばどばと飲み込んでいく。微動だにしない夜だった。それは、鳴くことをやめた海のせいでもあった。寝巻のままダイニングに入ると、猫背気味にカウンターに突っ伏していたルフィが眼だけで振り返った。おまえもかよ、と入口に立つウソップに気付いたサンジの溜息。さっき寝ちまったから、目冴えちって。笑いながらウソップも席に座り、冷たいカウンターに頬を押しつけた。腹減ってんのにサンジなんもくれねえ、とルフィが唇を尖らせている。サンジくん、おれも小腹が減ってます。控えめにサンジを窺うと、舌打ちされる。おまえら散々肉食ったろうが。そんな昔の話されても。おれは忙しいんだ、さっさと寝ろ。
丁寧にコンロを磨きあげていくサンジの手元を、油で汚れきっていた箇所を擦っていくスポンジの澄んだホワイト液を、ウソップは見おろしていた。きゅ、きゅ、というサンジがコンロを磨く音のみが夜のダイニングに響きわたる。次に明日の下ごしらえなのか大量のキャベツを切っていく包丁の上下振動。まな板の上に盛られていくキャベツにルフィが手を伸ばす。キャベツじゃなあ、と文句をこぼしながらガジガジ黄緑を齧り尽くす。サンジはそれを無視し、冷蔵庫を開いて小さな紙袋を取り出した。期待を込めて、ルフィはそれを目で追う。しかしサンジが紙袋から取り出したのはコーヒー豆で、それらをロースターに詰め、磨いたばかりのコンロに火をつけた。からからと豆が焙られて擦れる音がする。そのときふいにチリッと何か強烈な気配を感じ、ウソップはルフィの方にゆっくりと首を曲げた。瞬間ウソップの心臓は跳ねあがる。落胆したように落としたルフィの肩から炎がふきあがっていた。くろい眼球が燃えていた。ルフィの輪郭が燃え盛り、ぼうっと霞む。其処から潮の匂いが溢れ出す。舌が熱をもっている。酔いが未だに身体中を巡っている気がした。潮の匂いではなく、部屋はコーヒーの香りで溢れていた。ルフィが視線をあげて、どうした?というかおで首を傾けた。すると一瞬にして、炎は消えた。なんかまだ酔っ払ってるみてえだ。ウソップは目を瞬かせ首を振った。お前かなり飲んでたもんな。サンジが視線をあげた。しゃらりと生豆の動く音がする。視界端で、あおく燃え続けるルフィの姿。その残滓に、脳が揺さぶられる。
唇に何かを当てられ、反射的に口を開けてしまうと、べたべたとした丸いものが舌の上に転がりこんでくる。カウンターの向こうから伸ばされたサンジの指先が目の前にあった。サンジは深く息を吸い込み、煙草の煙を吐き出す。換気扇に吸い寄せられるように、煙が上へ上へとのぼっていく。ウソップにしたのと同じように、サンジはルフィの唇にも押し当てる。そこでウソップは舌にはりつくその固形状のものを舐ってみた。甘いような酸っぱいような、なんとも複雑な味わいがした。口の中で転がす音が暫し響いた。ルフィの方からも、かちかちという音がした。さっさと寝ろ、とサンジが言う。かちりかちりと音を響かせてルフィが立ちあがり、ウソップもつられるようにして椅子からおりる。サンジは、とウソップが振り向くと、おれもすぐ行くよ、とかぶさるように返される。そのサンジの横顔から焦燥のようなものが滲みでている気がし、ウソップは息を呑む。海が鳴いていない。鳴いていないことで、少しだけ何かがずれている。此処は凪の帯よりも静寂で、時化の海よりも荒れている。ナミが早く船を進めようと言ったとき、ルフィは海面からすこしも目を逸らさなかった。いや、待とう。ルフィの決定は海鳴りのように強かった。
ダイニングを出、先に歩き出したルフィの後をウソップが追おうとしたとき、今まで微塵も吹いていなかった風の気配が背後からやってきた。思わず身体を捩れさせた瞬間、船を襲う強烈な突風。風に奪われ身体の浮きあがったウソップの腰をルフィが引き寄せた。そのままウソップをデッキに押しつけ、風が過ぎ去るのをひたすらに待つ。麦わらを飛ばされぬように手のひらでおさえながら見おろしてくるルフィのこぼれんばかりの笑顔。何かを言っている。風の音に遮られ聞き取れず、ルフィの唇の動きに集中する。無意識に奥歯で塊を噛み砕いていた。しおあじだ、と言っているのがルフィの唇の動きでわかった。塩味、脳内でそう変換してからすぐに違うとウソップは気付いた。頭上で風がごうごうと通り過ぎていく。それは海の生き返る息吹のようだった。死んでいた波が船べりを叩き、船全体が激しく揺れる。季節の狭間で海が死に、再び生まれようとしている。身体が濡れそぼり、波が視界に満ちた。あおく海が燃えている。燃え盛る海に吸い寄せられたままルフィの気配を強く感じていた。鼻からも口からも潮の味が溢れていた。腕のなかで、ルフィもが燃えている気がした。吸い寄せられてからは、あっというまだった。ルフィに触れていた手が、ぼうっと燃えあがる。もう、戻れないところまで来てしまっていた。
2011.12.14/ニュートンの海