夜明け前すべては紺青に浸され海は静かに波打っていた。瞼を擦りながらゾロは後ろ手で扉を閉めた。足元で板の擦れる音がする。船底を叩く波の音がする。船上を歩き、霧深い海を眺めた。濃い色をしたそれが眼前に押し寄せる。ルフィが甲板にいた。膝を立てて座り、東の空を眺めていた。ゾロがその背に声をかけるとルフィが振り向く。ゾロ、とルフィは呟いた。吐く息が白く空気中に流されていく。部屋から持ってきた毛布を差し出すとルフィはそれを受け取った。あったけえ。毛布に包まり、ルフィは再び東の空に目を向けた。その目は水平線を映し揺れている。もうすぐ夜が明ける。そう、唇が動いた。
 立ったままゾロも東の空に目を向けた。そこは靄を纏いながらも輝いていた。水平線から眩いものが今まさに浮かび上がろうとしている。目を細めて眺めていた。久しく見ていなかったその眩さはゾロの網膜を焼き、まぶたの裏を赤く染める。
 ルフィが勢いよく立ち上がった。毛布が床にふわりと落ちた。伸びをして、関節を鳴らしている。長い間、光を吸い込んでいたせいかルフィを見やったその視界がぼやけた。紺青が消え去り、ひたすらにルフィの輪郭が浮かび上がる。眉間をつまみ目を閉じた。耳朶が波の音を拾った。目を開くとルフィの顔が間近にあった。その指先がゾロの耳に触れ、神経がざわつく。
「なあピアス、冷たくねえ?」
 ルフィの指先がピアスを撫ぜていく。じゃらりと揺れた。見つめてくるルフィのその目が光を放つ。いや。ゾロが首を横に振ると、そっかとその指が離れた。そのとき、ルフィの頬が橙に染まりゆくのが見えた。ぼんやりと揺らめくそれはルフィの頬からゾロの靴先へと落ちていった。吹きはじめた風にルフィの手に握られている麦わら帽子がそっと揺れた。二人の視界で朝が昇る。ゾロがもう一度水平線を振り返ると、瞼裏にその鮮やかさ。何層も重なって見えるそれはやはり眩しい。


 朝食は、ホットドッグとクリームスープだった。スープから立ち昇る湯気を鼻から吸い込み、スプーンでそれを掬う。啜ると濃厚な味が口内に広がった。ホットドッグを齧る。ソーセージから肉汁がこぼれた。サンジがパンにナイフで切れ目をいれているのを横目で見ながらゾロは咀嚼していく。向かいではルフィが次から次へとホットドッグに手を伸ばしている。その口元も指先もマスタードやらケチャップやらで染まっていた。時々それを舐め取る舌が覗く。その隣でホットミルクを啜りつつ本の頁を捲っていたロビンがふと窓に目をやり、睫をしばたたかせた。あら、雪。その静かな呟きに一斉にクルー達の顔が上がる。
 ルフィの座る椅子が激しい音をたてて倒れた。
 昼前には雪は積もった。ウソップが部屋に戻りサンジにココアを二杯分淹れてもらっていた。ついでだ、とサンジは言ってゾロの前にもマグカップを置く。ココアの水面を見下ろして、それを軽く啜った。
「耳、赤くなってる。ピアスのとこ」
「……」
「軽い霜焼けか」
 頬杖をつき、指先で耳を擦る。じゃらりとピアスが揺れる。甲板を見やるとルフィが突っ立って空を見上げていた。雪はさらに強く降り続ける。その降り方は船から音を奪い静寂をもたらした。深深とした気配の中、ふとルフィが此方を振り向くのが見えた。その姿が何層も重なってゾロの視界を揺らす。触れている耳朶が熱を帯び始めていた。爪先にピアスだけが、ひどく冷たい。

2011.02.01/耳朶に漣