サンジが其処を通りかかったとき、既にルフィの周囲には男たちが崩れていた。舗道には深く雪が積もっていたので男たちの半身は埋もれてしまっている。ルフィは動くことなく突っ立っていた。その帽子と肩に雪が降り積もった。仄かな息のかたまりが絶えず空気中に浮かんでは消える。サンジは遠めにそれを眺めた。足元から寒気が這いあがってくるのを感じている。靴の中で指先が冷えていく感触。崩れた男たちは身動きひとつせず、雪に埋もれていく。 サンジはルフィのもとへと駆け寄った。その背中からは未だ僅かの殺気が放たれていた。ルフィ、と呼びかけた。ルフィの肩が反応する。サンジ買い物終わったのか。ああ買いすぎたから船置いてきた。そうか、とルフィから漏れた声の様子がおかしかった。サンジに背を向けたままルフィは首を傾かせている。おい、サンジはその腕を引いた。ぽたり、と何かが滴り落ちた。雪上に点点とそれが散らばった。サンジはルフィを見た。ルフィは手で顔半分を覆っている。おい見せろ。サンジがその手をどかすと血が唇から溢れていた。鼻からも溢れていた。お前それ、サンジが言いかけるとルフィは口元の血を拭った。肘あたっちゃってさ。不意討ちだったんだけど、と鼻を摘んでいる。なかなか血とまんねんだよなあ。うう、と呻くルフィの指の間を血が流れていった。あんま上向くな。サンジはルフィの腕を引き、歩き始めた。足元で倒れている男たちが息を殺して様子を伺っているのに気づいた。踏みしめてやりたいところだったが、辛うじて堪えた。船戻るぞ。ああ、というルフィの声が低く篭った。
 船が見えてきたところで、ルフィが足をとめた。歩いてきた雪道に、二人分の足跡が続いている。サンジはその場で靴底を道に擦りつけた。煙草は船に置き忘れた。ルフィの腕を掴んだままである。そのルフィが白い息を吐いた。血、とまった。ルフィは口元を拭った自身の手を見つめた。それは乾きつつある。サンジは船に向かい、息を吸い込んだ。声を張る。戻ったことを伝えると少し経ってナミが甲板に顔を出した。ナミは手摺に半身乗り出して二人を見おろした。降りしきる雪が視界を邪魔する。肌に触れたと思うと、瞬く間に雪片は溶けた。俯いていたルフィが顔を上げる。その顔が酷かった。血痕が頬にこびりついている。さらに下唇が腫れ始めていた。案の定、ナミは眉を顰めた。なにその顔。そう呟いたのがサンジにはわかった。喧嘩したの。おお、とルフィは頷く。まだチョッパー戻ってないの!とにかく上がってきて、とナミは声を張り上げた。サンジ、と後方でルフィがこぼす。なんか海の味がする。乾いた痕に真新しい鮮血がルフィの手の平を濡らしていた。
 いでっ、ルフィが顎を引くのをサンジは横目で見ていた。ナミが絞ったタオルをルフィの唇に当てている。自業自得でしょ。いきなり殴りかかってきたのは向こうなんだって。はいはい、とナミは眉間を寄せたままティッシュを丸めルフィの鼻に突っ込んだ。サンジは湯が沸騰するのを待ちながら煙草を吸った。無意識にフィルターを噛んでいた。沸沸と薬缶の水面に泡が浮かぶのを眺めた。サンジの立つ位置からルフィの横顔はよく見えた。煙を吐き出す。室内でも寒さはあった。首の隙間から冷たい空気が入り込み、這いのぼってくる。ルフィを見る焦点がぼやけた。
 やがて雪はやんだ。そうっとルフィはカップに口をつけている。熱さが傷口に染みるようだった。ナミがカウンターに頬杖をつき、微睡んでいる。そのそばにサンジは紅茶の入るカップを音を立てぬよう置いた。ナミの瞼があがり、サンジを見上げる。サンジは甲板にちらと目をやって、その白く覆われた眩しいものを見た。ルフィの横を通り過ぎ、サンジは外に出た。途端に肌が凍りつきそうなほどの寒さ。甲板をゆたりと歩いていき、積もったものを手で掬う。触れてすぐ指先が赫らんだ。
 雪掻きでそれらを掬っていく。ある程度溜まったら海に落とした。どさりと流れ落ちる雪の固まりは、ひどく静かに海に溶けていった。サンジの唇の隙間から絶えず白い息が流れ出ている。後方で扉の閉まる音がした。振り向くとルフィが出てきていた。サンジがそれを咎めようとすると、そのとき今まで雪のためか姿を現さなかった鳥たちが一斉に視界に飛び込んだ。緩く吹きはじめた潮風に乗っかるようにして、ばあさばあさと船上にあらわれた。サンジは思わずそれを見上げた。その隙にルフィは甲板から飛び降りている。サンジが振り向いたときにはルフィは既に埠頭に降り立っていた。もっかい探索いってくる! ルフィは右腕をあげ歯を見せて笑うと、町の方へと駆けていく。次第に遠ざかるルフィの背を眺めた。サンジは溜息を吐く。手摺に降り積もった雪を払い落とした。指腹にきんと沁みる冷たさ。
 ほんっとにあいつは。部屋に戻ったサンジにナミが呟いた。サンジはナミの隣に座った。そのとき芥箱が視界に入った。血を吸い取ったティッシュが何枚も捨てられている。その鮮やかな色。外では鳥たちの騒ぎ声がしている。 鳥の群れがばあさばあさと船上を旋回しているのだ。耳を澄ます。海猫たちが、なあなあと鳴く。ふいに血潮の匂いがした。灰皿が視界に入り、そこにある噛み千切られた煙草の残骸をサンジは見た。それは海だった。海の味が、したのだった。

2011.02.24/血と海と